哀愁のメロディー中心の名曲探し(含昭和歌謡)&自作ショートショートコラボサイト

哀愁のメロディー中心の名曲(含昭和歌謡)探しを中心に、ショートショート・小話のコラボサイトです。個人的な感性で名曲と感じる楽曲を選曲しています。時代、ジャンル、ヒットの有無は不問で私のレコード・CDのコレクションを中心に紹介します。また同時掲載で自作のブラックな小話、ショートショートを掲載しています。

記事中の人物名等は特別な事情がある場合をのぞき原則敬称略です。

【当サイト概要】

当サイトは2つのテーマの「コラボサイト」です。感性と内容が問われるサイトです。
1名曲さがし
個人的感性で哀愁系の曲を中心に名曲と感じる曲の選曲のみ
をしています。
2創作「ショートショート」
完全にオリジナルで、内容は日常生活や動物の擬人化などを中心に特に大きな制約は作らず、自虐的なギャグ・ドタバタ系が中心です。

※素人ですが、一応はるか以前に劇関係のキャストや演出、脚本の経験はあります。


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※メロディーや歌詞は、他サイト等で閲覧者様ご自身の判断と責任でご確認いただければと思います。楽曲の掲載は現行の国内法を順守するように心掛けております。また楽曲のレコードやCDコレクション所有の有無も記載しています。
※「ショートショート」はすべて当サイト管理者自身の創作で無断転用や転載を禁止します。


サイトのタイトル画面は金沢市から見た白山連峰遠景(2019.3:撮影はサイト管理者)

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#村下孝蔵

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
この曲は村下孝蔵が急病で亡くなる前年に発売したアルバム「同窓會」に収録されていたので知りました。それまでは彼の曲は大好きでしたが、この曲はこのアルバムを聴くまで知りませんでした。そして「同窓會」を買ったのも、彼の死後です。でも今は彼の曲の中では以前に記載した「絵日記」などと並ぶくらい好きで、暗い哀愁たっぷりでリズミカルな、村下孝蔵らしい曲だと思っています。

そして何よりも詞が個人的にも大好きです。
特に2番のサビ以降が好きで、
「ちっぽけなしあわせにこだわって 道に迷ってばかりいた やっと集めた光さえも 指の間もれた」(引用)
まずここが好きです。私だけでなく、そんな気持ちって皆よくある経験の方が多いと思います。

そしてきわめつけは、その後の最後の詞です。
「二人 自転車に乗り走ったね しがみついて笑った君よ」(引用)
というところです。自分的にはここはもうこの曲のクライマックスだと思っています。

ただよく考えると、もしかしたら「自転車は二人乗り?」とも思いますが・・。

なぜこの部分が一番好きかというと、
そして歌の中で自転車を走らせている場所には一切触れていないのですが・・、

東京に越してきてからの私の実家は、家から多摩川の土手が見えるようなところです。距離にして100メートルあるかないかくらいで、何かというと多摩川の河原や土手に行きました。高校3年の時は野球部だったのもあり、それまで電車とバスで通学していたのに、自転車で河原のサイクリングロードを走り、調布まで行き、そこから内陸に入り、ハケ(段丘)を2段登って通学していました。決して女性と自転車を河原沿いに一緒に走ったことなどまずなかったのですが、その情景は結構楽に想像できました。

ということで、なぜか私の中では、この曲の自転車も夕方の河原を走っている、というふうに自分の都合で置き換えられているのでした。???・・。

またこの曲を録音して最初に外で聴いたのは、家族と旅行に行った帰りの東北の新幹線の車内でした。すでに夜で景色は見えませんでしたが、疲れもあり、またちょうど警報級の大雨の中で、車内全体にも重苦しい空気が漂っていました。そしてこの時に聴いたこの曲が妙にその空気に合っていたので、よくおぼえています。だからこの曲を聴くとその時の雰囲気も思い出したりすることもあります。

この曲はおぼえやすく、リズミカルですが、少し暗い哀愁たっぷりの村下孝蔵らしい曲だと思っています。もしご存知ない方であれば、一度聴かれてみては?と思います。私と音楽の嗜好がほぼ180度近く違う、家族もこの曲については私が見ている限りでは、結構気に入っているようです。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

ブログネタ
あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
この話は相当以前の話です。
めったにないことですが、私が柄にもなく下記のようなことで色々思い悩んだことがありました。

今から”うん十年前”まだ私が20代後半だったころ、前述のようにガラにもなく恋愛のことで悩んでいました。
自分の家庭の事情、あとは詳しくは言えませんが様々な事情があり、かれこれ4年くらいお付き合いをしている女性と一緒になれず暗礁に乗り上げ、悶々としていました。もちろん当時もうすうす感じていて、今はほぼ確信がありますが、要はこのことは状況のせいだけではなく、私の人間としての実力が足りなかった、または人から信頼を得るに足りなかったせいなのだ、とも思いました。というよりその部分のほうがはるかに大きかったのかもしれないと思っています。

そんな時に学生時代の友人とちょうど一杯飲む機会がありました。
私のアパートの近くの国分寺の当時の私の行きつけのカラオケスナックで飲みました。
あまり混んでいる店でもないし、ママとも顔見知りだったので、カラオケは結構歌いたいだけ歌えるような店でした。

そこで飲みながら「泣き」をいれている私の話を聞いていた、友人が「今のお前にぴったりの歌を歌ってやるよ」と言って歌ったのが、表題の村下孝蔵の「踊り子」とテレサテンの「別れの予感」でした。

自分でいうのもなんですが、この2曲を聴きながら、まさに私にぴったりの曲と思いました。
この2曲は私の今の状況を見て作ったのか?または私がこの2曲の内容を実践するためにこのような状況に嵌ったのか?と感じるほど的確でした。彼もちょっと話を聞いたぐらいで、よくここまでわかったな?と彼の洞察力にも驚いたぐらいです。

特に表題の「踊り子」の「つまさきで立ったまま 君を愛してきた」「表紙のとれてる愛だから かくしあい ボロボロの台詞だけ 語り合う日々が続き」(ともに引用)という歌詞の部分は身にしみるような歌詞でした。

村下孝蔵は当時はまだそんな嵌っていなくて、デビュー曲の「ゆうこ」や「初恋」など一般的なヒット曲しか知らず、「踊り子」も発売されてすぐのころだったと思うので、実はこの曲は知りませんでした。

ご想像通り、と思いますが、しばらくしてやはり駄目になりました。
あの2曲のとおりになり、彼の予言はぴったりと当たりました。

このころの経験が今がどう関係しているのかはまったくわかりません。
それからもある意味自分らしく?生きて、なぜかちゃんと家族もできました。
今は良くも悪くも過去の集積の結果です。

今でもこの「踊り子」を聴くと、後悔の念というか、少なくとも成功談ではないので、少し胸の奥に「キーン」と突かれたような痛みが走ります。

私事で恐縮ですが、少しというか、かなり「ほろ苦い」思い出の話でした。

でも今でもこの曲は哀愁たっぷりで大好きな曲のひとつです。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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