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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
1983年に高校時代の友人と2人で北海道に行きました。
その時はあまり金もなく、当時国鉄から発売されていたワイド周遊券というきっぷを使いました。
往き帰りや、現地でも当時はどこでも頻繁に走っていた急行列車の自由席は乗り放題で、道内の国鉄はフリーパスでたしか2週間以上の有効期間でした。

たよりは北海道の大学に進学して札幌に住んでいた別の友人の下宿でした。
旅行は歌ではありませんが、「上野発の夜行列車」である「急行十和田1号」に乗車して連絡船で函館に渡り、道内の夜行列車、大きな駅の待合室、前出の友人の下宿などを泊まり歩いて、やっと帰路につくために再度函館駅に到着しました。その約2週間のあいだは1度も宿泊施設には泊まりませんでした。この旅行の内容は、読みたい方がいるかどうかは不明ですが、後日別サイトに記載するつもりです。

さて函館に着いたときは残金もあまりありませんでした。
おまけに悪いことにその時日本に台風が襲来していました。まだおもに西日本が中心の被害でしたが、台風はスピードを上げて北上中で、これから青函連絡船に乗船しようとする、私たちを含む多くの観光客は、函館駅で足止めされていました。
駅のアナウンスによると、この先はほとんどの連絡船の便は運航を見合わせるということで、多くの旅行者たちが待合室で困り果てていました。

前置きが大変長くなりましたが、その時まだ当時は古い駅舎で、木の匂いのする連絡船の待合室の大きなモニターテレビで、この年に公開される予定で、地元の観光とタイアップするのか、新作映画「居酒屋兆冶」のPR映像がずっとリピートで放映されていました。そしてその映像では主題歌で表題の「時代おくれの酒場」が延々と流れていました。PR映像では歌っていたのは作詞・作曲者で本来この歌を歌っている加藤登紀子でした。

話は変わりますが、私は以前学校の図書室で昭和になって起こった最大級の被害があった海難事故「洞爺丸台風」の本を読んだことがありました。その時も襲来していた台風は西日本付近にいて、まだ大丈夫だろうということで出港した青函連絡船「洞爺丸」は、その時に偏西風の影響で急にスピードを上げて時速100キロくらいになった台風は想定されたよりはるかに早く北日本に接近しました。そして「洞爺丸」は遭難して多くの客や乗員が亡くなりました。この事故では洞爺丸だけでなく、その時出港した複数の船が被害に合い、千人以上の方が亡くなったそうです。

その本の記憶を思い出し、「金もないので運航してもらい早く東京に帰りたい」という気持ちと、逆に「台風が過ぎるまで運航を止めてほしい」という2つの気持ちが交錯していました。そしてどちらにしても困ったことになると思っていました。

そんな中で、古い待合室の中で延々と流れる「時代おくれの酒場」の曲が聴こえていました。映画は主演が高倉健の、少し暗い映像の函館の小さな居酒屋の人間模様の話のようでした。
1回曲が終わっても、すぐまた最初の管楽器系のイントロが流れ、そして「この街には不似合な、時代おくれのこの酒場に~」(引用)の繰り返しでした。任侠映画から、このような人間ドラマの映画に出演するようになった主演の高倉健にはぴったりの映像と曲でした。台風と船の運航の問題がなかったら、こんなふうには感じなかったかもしれません。

また話が飛びますが、近年この映画はテレビで放映され、初めて実際の内容を観ましたが、映画の中ではこの歌は、主演の高倉健(故人)が歌っていました。また共演で、細かい事情は忘れましたが、暗く幸薄い女性の役を演じた大原麗子(故人)は大変印象に残りました。

そうこうしているうちに結局連絡船は、夜の12時過ぎに臨時便を1便だけ出し、その後の欠航が決まりました。迷いましたが、友人はそれほど心配していなくて、二人で相談して乗船できるのであれば、乗ってしまおうということになりました。当時の青函連絡船は大きな船で、待合室にはかなりの人がいましたが、乗船することができました。

私は正直怖いので、海の見えないカーペットの部屋にかばんを置いて枕にして、横になりました。
出航して外海に出ると、船は大きく上下に揺れ始めました。多分1メートル以上の上下差だったと記憶しています。
「どうしよう。もう後戻りはできない、大丈夫かな~」
と恐怖におびえていました。でも毎日のハードな旅行で疲れていたのか、いつのまにか眠ってしまいました。

そして何時間経ったか、寝ていたのでわかりませんが、はっ、と目が覚めました。
すると船はもう揺れていませんでした。
そうです。すでに連絡船は無事に青森港内の穏やかな湾内に入っていました。
「あー、よかった。とにかくよかった」
他に感想はありませんでした。

長々と書きましたが、この「時代おくれの酒場」を聴くと、当時の古い函館駅の待合室と、自分だけかもしれませんが、あの恐怖の体験を鮮明に思い出します。

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