哀愁のメロディー中心の名曲探し(含昭和歌謡)&自作ショートショートコラボサイト

哀愁のメロディー中心の名曲(含昭和歌謡)探しを中心に、ショートショート・小話のコラボサイトです。個人的な感性で名曲と感じる楽曲を選曲しています。時代、ジャンル、ヒットの有無は不問で私のレコード・CDのコレクションを中心に紹介します。また同時掲載で自作のブラックな小話、ショートショートを掲載しています。

記事中の人物名等は特別な事情がある場合をのぞき原則敬称略です。

【当サイト概要】

当サイトは2つのテーマの「コラボサイト」です。感性と内容が問われるサイトです。
1名曲さがし
個人的感性で哀愁系の曲を中心に名曲と感じる曲の選曲のみ
をしています。
2創作「ショートショート」
完全にオリジナルで、内容は日常生活や動物の擬人化などを中心に特に大きな制約は作らず、自虐的なギャグ・ドタバタ系が中心です。

※素人ですが、一応はるか以前に劇関係のキャストや演出、脚本の経験はあります。


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※メロディーや歌詞は、他サイト等で閲覧者様ご自身の判断と責任でご確認いただければと思います。楽曲の掲載は現行の国内法を順守するように心掛けております。また楽曲のレコードやCDコレクション所有の有無も記載しています。
※「ショートショート」はすべて当サイト管理者自身の創作で無断転用や転載を禁止します。


サイトのタイトル画面は金沢市から見た白山連峰遠景(2019.3:撮影はサイト管理者)

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#小柳ルミ子

ブログネタ
時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
1974年に発売された小柳ルミ子の名曲です。
曲調は西洋的な感じで、小柳ルミ子のそれまでのどちらかというと日本的で情緒的な哀愁系のメロディーとは一線を画するような印象を受けた曲です。物悲しい暗い感じの曲でありながらおぼえやすい、わかりやすいメロディーです。
小柳ルミ子は近年はともかく、デビューしてからかなりの年月は和風、エキゾチックを問わずすばらしい昭和歌謡をたくさん歌っていました。

以前にこのブログでは「たそがれラブコール」と「京のにわか雨」を紹介しましたが、私の好みの哀愁たっぷりの曲はまだまだあるので、この曲の他にも随時紹介していきたいと思います。

この曲は当時は大ヒットした曲で、私もテレビでたびたび直接歌う場面を拝見しました。
シャンソン、ロシア民謡、ロマなどの遊牧民の民族音楽をすべて盛り込んだような、ヨーロッパ的な素敵な曲です。多分ご年配の方のほとんどは私よりくわしく知っているような曲だと思いますので、私のくどい説明は端折ります。

「白い朝もや流れる 冬の淋しい停車場 あなたの無事を祈って これが運命とつぶやくの~」(引用)

この情景が浮かんでくるようなすばらしい出だしは当時はあまりにも有名なフレーズになりました。口ずさんでいた人も結構いたと思います。

さらにサビのところでは、
「~ひと駅だけでもあなたと一緒に朝の汽車に乗っていきたかった」(引用)

と、ここでこの曲に込められた感情が絶頂になるような印象を受けました。

作詞はこういう歌の名手である、なかにし礼で、作曲は加瀬邦彦です。

本当は不滅の名曲にしてもいいぐらいだと思っています。

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そういえば話は変わりますが、上記の曲とはあまり関係ありませんが、この曲ほど昔ではありませんが、こんなことがありました。

「六人の妹」 (ショートショート)

昔、むかし、はるか昔、相当な大昔のはなしです。

私が会社に入り新入社員で研修を受けていたころ、
同じ同期の新入社員のなかにどういう意味かは別にして、たいへんやり手の男がいました。
名前はAといいます。

Aは当時のバブル直前の時流に乗った軟派風の男でした。
彼は、自分で曰く「俺には六人の妹がいるんだ!」
と豪語していました。

それを聞いた、おくてでシャイな私は、
「へえ~、七人兄弟なんだ。大所帯だね」
と言いました。
周りにいた別の男は、
「ばかかお前は、それとはちがう妹だよ!」
とさとしました。
「???」
どうやら彼は、年下の彼女は妹、年上はお姉さんと呼んでいたのでした。

大幅に年上をお母さんと呼んでいたのかはわかりませんが、
たいしたもんだ、いずれにしてもうらやましいね、と思いました。
私は純情だったので、同い年のきょうだいがチラ、ホラとしかいませんでした。

そんなこんなで一年が経ち、そんなことも忘れかけた春のこと・・

私が働いている職場に恒例の新入社員が配属されてきました。
野郎が一人、女の子が二人です。

女の子は一人は理知的な感じでいい子でしたが地味目でした。
もう一人はというと、背も高く派手で、当時イケイケといわれた女子大卒のいかにも~、という感じの肉食系風のギャルでした。

名前はB子といいます。

B子はまあまあかわいいのもありましたが、性格も前述のように積極的でした。
職場の男は皆魅了されました。
でも口をひらくと、「それで~っ」「かわいい~~」的な感じでした。

さらには、
自分のことを「わたしって、”○○○○○○”(・・当時旬な芸能人)に似てると思うんだけど、どう??」
こんなことを聞いてくることもありました。
『う~ん?、目だけは似てるね』
私は内心そう思っていましたが、気が弱いのでだまっていました。

そんな時です。
同期のAから電話がありました。
「お前んとこの職場にB子が入ってきたんだって?」
「そうだよ」
「あいつは俺の妹なんだよ」
「えっ?」
  :
と言いながらも・・
『なるほど・・』
私はこんな信じられない偶然の出来事なのに妙に納得してしまいました。
『やはり兄妹(きょうだい)だったか、どうりで・・・』

それからしばらく時が経ち、皆は順調に成長していきました。

ほどなくAはめでたく結ばれて結婚しました。
もちろんむかし妹だったひとではなく、新しく妹になった人でした。
話によると飲み屋でナンパしたとのことです。
「俺のいもうとになってくれる?」
とでも口説いたのでしょうか。

同じ職場であったB子も時が経ち会社をやめてしまいました。

そしてしばらく経ったころ、B子が結婚することになりました。
会社に入ってからもB子は仕事も頑張っていましたが、遊びもけっこう頑張っていたようで、
どんな派手なやつと結婚するのか、見ものだと皆が思っていました。

B子の結婚式の二次会に招待されたので当然出席しました。
だんなさんはどうやら地元の結構裕福な家の方で、しっかりした固い会社の方みたいでした。

早速B子に、「結婚おめでとうな。よかったじゃん。だんなさんは?」
と早速祝福の声をかけると、
B子は、「ありがとう。だんなは本当にふつうの人なの」
「ふつう????」
「そうなの、ほんとうにふつうのひとなの・・・」

今までどういうやつとつきあってきたんだ?・・

今でも不思議なのは彼女はどうやって彼と出会ったのかということです。
やっぱり、飲み屋でナンパしたんでしょうか?
「私のお兄ちゃんになって~~」


上記の記事はサイト管理人日記「ぶらぶらうだううだ」(旧穴狙い千ちゃんの旅行記2)に2011年5月17日に掲載した記事を移設したものです。

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年7月19日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)

※なお一部は現在のモラルや法律などに抵触しないように、また内容的に改修したほうがいいと判断した場合は当初の内容を一部修正しておりますのでご承知おきください。
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【選曲した曲のメロディーと名曲という表現について】

もしご年齢や他の理由でメロディーや歌詞をご存知ない方がいらっしゃったら、今は大手検索サイトに「歌手名・曲名」を入力して検索すれば、2022年7月現在の現状では、すぐメロディーがわかる試聴サイトや動画の公式サイトなどが複数表示されるようです。それらのサイトは他サイトなので詳細は当方では認識がなく、それらをご利用されるかどうかは閲覧された方ご自身の責任になりますが、容易にメロディーを確認できる設備があるようです。
(当サイトでは著作権の問題等の法令遵守のために写真やリンク等は貼っておりません)

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

ブログネタ
時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
表題の「たそがれラブコール」は1981年に発売された小柳ルミ子のシングル曲です。
作詞はあの阿久悠、作曲は川口真です。
情景が浮かんでくるような、詞と曲で、暗い哀愁メロディー好きな人たちは、ほぼ満足できるような名曲だと思っています。特にこの歌の詞は、あの阿久悠ですが、メロディーと完全に噛み合った素晴らしい詞だと思っています。

この曲を知ったきっかけは下記のとおりです。
以前KHKFMで平日の昼12時~13時に「ひるの歌謡曲」という番組を放送していました。
有名歌手、テーマを決めた色々な歌手の特集など1時間の間、ほぼトークや解説なしで曲だけ流していました。しかも最初からフルコーラスで曲の最初の紹介なしで流していたので、そのままカセットテープに録音して、聴いて楽しんでいました。

当時は今盛んに販売されている歌手ごとのベストCD(レコード)やオムニバスCD(レコード)は、国民的な有名な歌手以外はほとんど売られていませんでした。またインターネットもまだ普及していなくて、ダウンロードや動画サイトも存在していなかったので、歌手によってはこのような番組をエアチェックするしか方法がなく、しかもフルコーラスでステレオ放送だったのでうれしい限りでした。

ある時その番組で「小柳ルミ子」特集がありました。

小柳ルミ子といえば、「私の城下町」「瀬戸の花嫁」は大ヒットしたので皆に知られていましたが、他の曲は一部しか知りませんでした。当時他で知っていたのは、個人的な嗜好から「冬の駅」や以前ここに記載した「京のにわか雨」くらいでした。

この番組ではじめて、表題の「たそがれラブコール」を知りました。

以前書きましたが、小柳ルミ子は元タカラジェンヌで、朝ドラ「虹」でデビューした時は可愛らしく、アイドル的な要素もありました。ただ段々齢を重ね、その実力を見せ始めていました。ただ当時の愛らしさは、少し違う感じになっていったように思います。でも声は段々と研ぎ澄まされたような、不思議な歌唱力で、私を魅了しました。

でも一般人から見た彼女の印象はこの先もどんどん、変わっていったように感じています。でもその姿が彼女の本質だったのかもしれません。平成以降から近年にいたる状況や様子は、皆さんよく承知されていると思います。素人目のうえ、直接お人柄などは承知していませんが、現役を続けている芸能人であれぐらいデビュー時と、今では大きな温度差がある方も結構少ないのでは?というふうに感じています。
※もちろん悪い意味ではありません、外から見た印象が変わったという意味ですので、悪しからず・・。

そしていつも話に出てくる、すでに閉店した荻窪のスナックでもこの曲もよく歌っていました。
この曲は男性が歌っても比較的大丈夫なようでした。
ママも目をつむったり、耳や鼻に栓をすることはありませんでした。
「あなたが 此処にいたら 何もかも きらめいて見える 今では街の色も セピアにかすむ想いで~~」(引用)

でも歌った後にポツリと言いました。
「この曲はあんたに歌われると、歌詞がかわいそう・・」

ガビーン・・

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
表題の曲は1972年に発売された小柳ルミ子のシングルレコードです。

私が彼女を最初に知ったのはNHKの朝ドラの「虹」で、1970年で小学2年生でした。
「虹」がどういう話のドラマだったかは正直忘れましたが、小柳ルミ子のことだけが印象に残りました。今がどうか?、とかそういうことは別にして、当時はまだ10代のようで、小学生低学年の私が見ても「わっ、可愛い女の子だ」と思ったのをおぼえています。

当時は彼女がタカラジェンヌだっとことはまったく知りませんでした。

そしてほどなく、歌手としても、あの有名な「私の城下町」でデビューして、大ヒットして国民的な曲になりました。よく、職人や運転手さんが「格子戸を~、くんぐりぬけ~」(引用)とテレビドラマなどでも鼻歌交じりに口ずさんだ姿をみかけたのをおぼえています。それくらい浸透するような曲でした。服装もたしか和服というか、浴衣みたいな着物姿的ないでたちで歌っていたように記憶しています。

そしてデビューしてしばらくは前述のように和風な歌に、和装のような感じの路線だったように記憶しています。でもその翌年くらいにいきなり明るい歌で、これも「私の城下町」同様国民的ヒットをして、歌謡大賞まで受賞した「瀬戸の花嫁」が大ヒットしたのをおぼえています。「瀬戸の花嫁」は覚えやすく、私たち子供も語尾を食べ物のワンタン、天丼、味噌ラーメンにする、など変え歌にするのが流行り、子供にもそのメロディーは浸透していました。

そして調べてみたら、表題の「京のにわか雨」はその直後に発売されたようです。

今度は一転、暗いけれど以前とは少し違う、しっとりした、京都の古い街並みの情景が浮かび上がるような曲でした。

もちろん「雨だれが一粒頬に~、見上げればお寺の屋根が~」(引用)の入りから、哀愁たっぷりなのですが、それに和風のしっとりとした情景も加わった不思議なメロディーです。

小柳ルミ子の曲は好きな曲が多いので、また紹介する機会もあると思いますが、この曲は個人的な子供のころの記憶の片隅や情景を紐解いてくれる数少ない曲のひとつです。

ちょうど私は小さい頃は、家の関係や事情もあり、埼玉にいる時以外は、大阪にいる、みたいな生活をしていました。もちろんもう学校に行っていたので学校のある時期は埼玉で、このころには期間的には圧倒的に埼玉の方が長くはなりましたが、それでも年間に通算3か月くらいは大阪にいました。というのも当時大阪の父方の祖母の体調が悪く、結構長期で入院することもあったからです。

そして「京のにわか雨」を聴くと、この歌を聴いた時に浮かぶ「雨でしっとり濡れた京都の古い街並みの情景」は私の中で「船板塀やため池、木造住宅や竹やぶ」など当時はまだ古い情緒が残る父の実家の周りの風景に置き換わって思い出します。

逆に考えれば、よくこれだけ当時の京都の古い街並みが雨でしっとりしている様子を、的確な詞と曲で、歌にしたな、と感心しています。

でも近年はコロナだけでなく、個人的な事情もあり、関西にはもうかなりの期間行っていません。
今はどうなっているのでしょうか?

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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