哀愁のメロディー中心の名曲探し(含昭和歌謡)&自作ショートショートコラボサイト

哀愁のメロディー中心の名曲(含昭和歌謡)探しを中心に、ショートショート・小話のコラボサイトです。個人的な感性で名曲と感じる楽曲を選曲しています。時代、ジャンル、ヒットの有無は不問で私のレコード・CDのコレクションを中心に紹介します。また同時掲載で自作のブラックな小話、ショートショートを掲載しています。

記事中の人物名等は特別な事情がある場合をのぞき原則敬称略です。

【当サイト概要】

当サイトは2つのテーマの「コラボサイト」です。感性と内容が問われるサイトです。
1名曲さがし
個人的感性で哀愁系の曲を中心に名曲と感じる曲の選曲のみ
をしています。
2創作「ショートショート」
完全にオリジナルで、内容は日常生活や動物の擬人化などを中心に特に大きな制約は作らず、自虐的なギャグ・ドタバタ系が中心です。

※素人ですが、一応はるか以前に劇関係のキャストや演出、脚本の経験はあります。


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※メロディーや歌詞は、他サイト等で閲覧者様ご自身の判断と責任でご確認いただければと思います。楽曲の掲載は現行の国内法を順守するように心掛けております。また楽曲のレコードやCDコレクション所有の有無も記載しています。
※「ショートショート」はすべて当サイト管理者自身の創作で無断転用や転載を禁止します。


サイトのタイトル画面は金沢市から見た白山連峰遠景(2019.3:撮影はサイト管理者)

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哀愁・昭和国内ポップス・アイドル

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
まずは「ショートショート」(ブラック小話)です。しばらくご辛抱ください・・

ー本音丸出しの世界1・帰宅編ー

以前の人気テレビドラマのように皆の本音が丸出しになり、相手にもそれが見えてしまうと、どういう事態になるか?いわば妄想の世界です・・。

さて今日はしがない営業回りのサラリーマンX氏と妻のY子さんの家の様子です。

X氏が帰宅したようです。
「ただいまあっ!」
(今日は本当は飲み屋で一杯やって、その後いつものスナックに行って・・『ムフフフフフッ・・』と思ってたんだけどなあ、結局家に帰ってきちゃったよ・・)

玄関でY子が出迎えました。
「あら、あなた、おかえりなさいっ!早かったのねっ!」
(あら、帰ってきちゃったのね、そのままずっと帰ってこなくてもいいのに・・、それに何よっ『ムフフフフフッ』って・・)

「めし食ってないんだ、何でもいいから作ってくれよっ!」
(『ずっと帰ってこなくていい』って何なんだよっ!、俺が邪魔なのか?ああっ?)

「そうね、カップラーメンなんかどう?」
(そうよ、あんたは邪魔なのよっ!、それより『ムフフフフフッ』の説明をしなさいよっ!)
         ・
         ・
すでに2人は表面上は『当たり障りのない会話』をしながら・・・
『心の中の本音』でバトルを繰り広げていました・・・

そしてハエ叩きが2発X氏の顔に炸裂しました。
ビシッ!、バシッ!
「アイテテテテッ!」

その後のことは想像通り・・・

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2023年2月14日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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さてここからは名曲さがしです!

ースカイレストラン・ハイファイセットー

この曲は暗い曲好きな人種にはかなり有名な曲です。1975年に発売されました。
作詞は荒井由実(ユーミン)ですが、作曲は村井邦彦という方です。

竹内まりやの一部の曲などと同様に、カラオケスナックでは少なくとも数日に1回くらいはこの曲を歌う人がいました。もちろん私もその一人でしたが・・。

歌っていたのは大ヒット曲の「卒業写真」や「冷たい雨」でお馴染みのハイファイセットです。前出の曲など初期の頃の曲作りにはユーミンが絡んでいたようです。

私が驚いたのは、ハイファイセットは「翼をください」で知られている、あの伝説のフォークグループ「赤い鳥」のメンバーが解散した時のメンバーだったということで、実はこのことをずっと知りませんでした。

個人的には「赤い鳥」といえばその後の「紙ふうせん」というイメージで見ていたので、もう一方のミュージシャンが「ハイファイセット」ということはまったく知りませんでした。

「赤い鳥」はともかく、「ハイファイセット」は現役で活躍していた頃からよく曲を聴いていたのに、ある意味恥ずかしい限りです。

でも今考えると洗練された都会的な印象の「ハイファイセット」とフォーク的な色彩をそのまま延長した感もあった「紙ふうせん」は考え方や方針が違っているとは感じるので、解散も無理もないのかもしれないと感じました。

そしてこの曲は地味ですが、現在も根強いファンを持っている曲だと思っています。
哀愁たっぷりのメロディーはもちろん、心に残る詞も気に入っています。
曲を聴いていると、夜のスカイレストランの情景が浮かんでくるくらいです。

【当サイトは選曲のみのサイトです】
この曲のメロディーや詞は、閲覧者様はご自身の責任と判断で、動画・通販の試聴サイトなど他サイトをご利用いただくようお願い致します。また紹介文の内容はオリジナルですが、文章の正確さを期すために年次など一部データのみネットや他資料の公開情報を参考にしています。またモラルや法令を遵守するように心掛けております。※歌詞の一部掲載はシステム提供元のLINEとJSRACの契約上可能です。他の画像等は当事者の許可のないものは掲載を控えております。

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まず最初にショートショート(ブラック小話)から

ーモテナイ男(ブラック小話)ー

今日は行きつけのスナックに久しぶりに行きました。
私が店に入ると・・

「あらいらっしゃい、久しぶりねえ」
と、いつものスナックのママが言いました。

「そういえばあなたって、女の人と来ることはないわね・・、モテナイの?」

ー痛いところを突くねえ・・、そうなんだ、でもだからここでは思いっきり飲んで、酔っ払えるからねっ!

「それが迷惑なのよっ!、私はあなたのストレス解消の道具じゃないのよっ!」

ーじゃあ何なんだよっ!

「あなたは私のストレス解消の道具なのっ!わかった?、わかったら今日も覚悟しなさいよっ!」

ー・・・

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。写真も本人が撮影しています。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2023年2月3日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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そして本題の曲の紹介です!

ーサヨナラは私のために・松本伊代ー

この曲は1986年に発売されたシングルです。
今やテレビに復活したお笑いタレントのヒロミの奥さんとして有名になっています。

1981年のデビュー当初はアイドルとして「センチメンタル・ジャーニー」を大ヒットさせ同年代のトップアイドルと並んで「アイドル世代」の中核を形成していた感があります。正直言って個人的にはデビュー当時の歌の内容や彼女のその時の歌唱力は???と思って、ほとんど関心はありませんでした。

ただ表題の曲「サヨナラは私のために」が発売された1986年ころには、彼女自身も大人になり、さらにアイドルとしての年齢ではなくなった感じでした。そして逆にヒット曲もあまりなくなりましたがこの曲のように大人になってきた「松本伊代」として落ち着いた歌声で魅せるようになった、と感じています。

もとから彼女の声は他にはなかなかないような不思議な声で、特にこの曲は彼女が歌うことで、さらに魅力が高くなったと感じました。最初に聴いたのは発売されて間もないころで、ラジオ番組か何かを録音してそのころはカセットテープで聴いていました。

しばらくしてこのように個人的な好みのメロディーのレコードやCDのコレクションを始めた時に迷わず中古レコード屋さんで買いました。この曲自体があまり有名ではなかったので、かなり安価で購入できたという記憶があります。

でもこの不思議な声で歌い上げる、リズミカルだけど哀愁たっぷりの暗いメロディーは、何度聴いても飽きのこない曲の一つです。今でも聴くと心に不思議な快感を感じます。

おかげで私の家族も、この曲はよく知っているくらいです。
前にもこのような書き方をしましたが、ある意味私の被害者の一人かもしれません。

でも暗い曲好きの人には本当にいい曲なので、もっと皆さんに広く知ってほしいと思っています。

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今回も先に「ショートショート」(ブラック小話)からです

ー聞くか聞かないか?ー

09上野ハシビロコウ2
ここはZ社、これから役員が集まって会議が開かれようとしていました。

会議の前の雑談で平取締役のA氏が、X専務とY社長と3人で歓談していました。

まずA氏がX専務に質問しました。
初歩的なことですけど、専務のモットーの「聞き上手」って具体的にはどういうことなんですかね?
すかさずX専務は次のように答えました。
「それはねぇ俺のポリシーなんだけど、まずは人の話を聞くことが大切だということなんだよ。人によって都合や事情はそれぞれだからねぇ」

するとA部長はさらに質問しました。
「でもそれを聞いていたらきりがないので、この間社長は時には「聞かないワザ」ということにも触れていたけど、それはどういうことなんですかね?」

するとその話を聞いていたY社長が答えました。
「それは俺のポリシーさ。結局出来ることは限度もあるし、時には自分の判断で押し切ることも必要だってことさっ!」

A氏はさらに突っ込みました。
「それは具体的にはどうするんですか?」

Y社長は、
「それはこの後会議に出席すればわかるよ・・。まあ見てなさいっ!」

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして会議が始まりました。
A氏:「さっき専務や社長と話していたんですが、X専務のポリシーの『聞き上手』を持って聞いてほしいんですけど、『□▲◎の案件』について私は『カクカクシカジカ~~~』と思うんですけど、どうお考えですかね?」

X専務:「うむ、とりあえず話は聞いておこう。私のポリシーはなんと言っても『聞き上手』だからねっ!」

A氏:「ありがとうございます。それでは『聞かないワザ』をモットーにされているY社長にあえて聞きたいと思います。今の話についてはどうお感じになっていらっしゃいますか?」

Y社長:「えっ!何?、俺は『聞かないワザ』がモットーだから、耳栓をしていたんで、聞こえていなかったんだよ」

A氏:「・・・」

A氏は少しびっくりしました。しかしすぐ気を取り直して言いました。

A氏:「本当なんですか?それじゃ困りますよっ!もう一度内容を言いますが、よろしいですか?」

Y社長:「えっ?今も何か言った?今も耳栓をしているから君が今何を言ったかも、私には聞こえなかったよ・・」

A氏:「はあ?社長はそんな方だったんですか?これじゃ話になりませんねっ!耳栓を取ってくださいよっ!」

Y社長:「いやあ、また水を差すようで悪いけど・・、また何か言った?」

A氏:「・・・」
(💢 💢 💢)

取りつくしまがないのでA氏はX専務に向かって言いました。

A氏:「X専務、聞いてくださいよっ!社長はあんなことを仰っていますよ、『□▲◎の案件』はこのまま社長の独断先行で実施されてしまいそうな状況ですよ。何とか先程私が申し上げた考えを社長に伝えてくださいよっ!」

X専務:「えっ?私はポリシーに従って人の話はとりあえず全部聞くんだけど、ただ聞いていただけでもうほとんどは忘れているんだよっ、悪いな!さっき何て言ったの?もう一度教えてくれよ・・」

A氏:「・・・」
(それって聞いているうちに入んないだろうが💢)

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2023年1月27日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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さてここからは「名曲さがし」です

ー花のささやき・下成佐登子ー
(哀愁のメロディーの名曲)

1985年に発売された曲です。フジテレビ系のアニメ・小公女セーラのオープニングテーマ曲になっていたようです。

本当は1978年のデビュー後数年間に次々と発売された当時はそれなりに知られていた曲を取り上げようと思いましたが、最近この曲を聴いて、まずはこの曲から、と思い最初に紹介します。前述のヒット曲はまた機会があったら紹介したいと思います。

1978年にポプコン・九州大会でグランプリを取りデビューしたようですが、たしかその時に「コッキーポップ」という名前の番組だったと思いますがラジオの音楽番組で、彼女の「秋の一日」という曲が流れていたので、この歌手の存在を知りました。

奇麗な声で、物悲しいメロディーを歌うという印象でした。当時はこのように自作の曲を歌うミュージシャンが結構いたので珍しい感じではありませんでしたが、とにかく声が奇麗だったのが印象に残りました。

でも当時はレコードを買ったりはしませんでしたが、哀愁のメロディーを中心にレコードやCDを集め始めた時に、偶然べストCDを聴いたらすごく気に入り、多くの曲を聴くようになりました。

しかし表題の曲を知ったのはこのサイトを構築し始めた後で、昨年のことです。今まで持っていたベストCDにはこの曲は収録されていませんでした。というのも下成佐登子はある時をさかいにアニソンなど、少し傾向を変えた曲を歌うようになったようです。その時にこの「花のささやき」が発売されたようです。下成佐登子も曲は作りますが、この曲は作詞・なかにし礼、作曲・森田公一です。

オリジナルとは思えないようなおぼえやすいメロディーで、しかもよくアニソンにはある、哀愁系のメロディーです。

ご承知の方もいるとは思いますが、今はネットでわりと容易に曲調を知ることはできますので、ご自身の判断と責任でどんな曲か確認されても、と思います。多分気に入る方もいらっしゃるのでは?と思います。

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特急はくたか越後湯沢駅20101
越後湯沢駅に停車中の「特急はくたか号」金沢行(2010年)

1986年に発売された国民的アイドル”キョンキョン”こと「小泉今日子」の曲で、皆さんもよくご存知だと思います。

個人的なことですが、この曲を聴くと「車窓から見た、冬の雪の積もった北陸の田園風景」を思い出します。かなり条件が制限された長い情景ですみません・・。

同名の楽曲で機会があったらまた掲載するつもりですが、松山千春の「木枯らしに抱かれて」も好みですが、表題の小泉今日子の「木枯らしに抱かれて」は個人的にはある意味、特別な1曲でもあります。

この表題の”キョンキョン”(小泉今日子)の「木枯らしに抱かれて」は曲を作ったのは、アルフィーです。当然アルフィーもこの曲を歌っています。もちろんアルフィーが本家本元なのですが、この曲に関しては個人的には圧倒的に「小泉今日子」のほうがいいと感じています。理由は特にありませんが、多分女性、特に小泉今日子の声がこの曲に合っているのでは?と感じているということもあります。「小泉今日子」は皆さん多くの方がご承知だと思うので、私が説明するような必要はないと思いますので端折ります。個人的にひとことだけ言えば、小泉今日子はこの曲でアイドルから一皮むけた、という印象を持っています。

冒頭に記載したようにこの曲と「冬の北陸の車窓の田園風景」は個人的な事情です。
というのも、概略を記載すると、1997年に三田に住む祖父、99年に祖母、その後金沢に住む父の弟、私を実の孫のように可愛がってくれた祖母の弟夫婦が相次いで他界して、葬儀、法事などで頻繁に金沢に行く機会がありました。祖父母は戦後引き揚げてからは関西に住んでいましたが、墓は一貫して金沢で、そんな関係もありました。特に他界した親戚の殆どが冬場の1~3月に亡くなり、結局法事も冬になりました。唯一現在から見れば一番最近の2013年に他界した私の父だけが命日が5月でした。

私はこのころになると、最初はカセット、そしてMD、さらにはスティックに好きな感傷的な哀愁の曲を録音したう小型のウォークマンやハードディスクを列車に乗る時も常に携帯していました。その中の1曲がこの曲でした。特にこの曲は冬枯れの水田に雪が積もった薄暗い、冬の北陸の田園風景と妙にマッチしていました。

北陸地方は平野がせまく、平地の多くは水田です。また山が近いので、水田からはすぐ近くに山が見えます。つまり車窓からは冬だと「雪山が近くに見える、雪が積もった冬枯れの田園風景」が続きます。ついでに言うと山が近いので、川も急流が多いようで、水も格段にきれいにうつります。「美味しいお米やお酒」の産地になっているのもこの地勢のおかげかもしれません。ただ現地の方にとっては雪は様々な災害の原因でもあり、悪天が多く生活や健康にも決してプラスにはならないので大変だと思っています。ちなみに昔からあるような一般住宅の玄関は、多くが北海道ばりの二重のドアです。

話が脱線しましたが、皆一緒の時もありましたが、急な話や、会社から駅に直行することなどが多く、一人で列車で行く機会も多くなりました。そんな時は当時便利だったフリーきっぷを活用して、片道は「北陸」の寝台個室。もう片道は上越新幹線の越後湯沢乗換で当時の「特急はくたか」(上の写真)を利用して往復しました。

その時に列車から北陸の車窓風景を眺めながら、カップ酒を「チビリチビリ」と飲み、ウォークマンなどでこれらの曲を聴くことが多く、聴いているうちに表題の「木枯らしに抱かれて」が特にこの風景に合うと感じました。多分この曲はそのようなシチュエーションで出来た曲ではないと思いますが、私の中では冒頭のような状況とピッタリと画像が重なる曲だと感じています。

特に、
「泣かないで恋心よ 願いが叶うなら 涙の河を越えて すべてを忘れたい」(引用)
の部分はすごく感傷をくすぐり、そして旅情もかきたてます。

私は大阪生まれ、埼玉育ちで、実際に金沢に住んだことはありませんが、両親は金沢の同じ高校の同級生でもあり、結婚までは本籍地も金沢市東山という所でした。逆に言いかえれば”故郷と言える場所ががない”私にとって、自分のルーツでもあります。そしてこの地の冬の風景、さらに実父以外も他界した人のほとんどは生前は私を本当の子供のように可愛がってくれた人たちでありました。そういう人たちをしのぶ気持ちも強く、そのような心持ちになったのかもしれませんね。

この曲は多くの方が知っていると思いますが、もしご存知ない方は一度聴いてみたらいかがでしょうか。個人的には「小泉今日子バージョン」がおすすめ、と思っています。

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さてここからはショートショート(ブラック小話)です

ー適切な対処ー

ここはA社のオフィス・・
ある問題があり、外部の検査が入ってきました・・
「X社長」と「常務のY営業本部長」の社長室での会話です。

社長:おいっ!、Y君、君は例の件は大丈夫って言ってたじゃないかっ!

常務:いえ、社長の言うとおり、適切に対処しましたよ・・

社長:じゃ、なぜ外部の検査が入ってきたんだ、君のせいだぞっ!

常務:人の口には戸は立てられませんからね、多分誰かが余計な事を言ったんじゃないですかね・・

社長:何を無責任なことを言ってるんだっ!あんなに言ったのに・・

常務:でも社長はあの時「適切に対処しろよ」って言ったじゃないすかっ!

社長:じゃ、具体的にどういう対応をしたんだっ!

常務:だから適切にですよっ!

社長:だからどういうふうに、適切に対応したかって聞いているんだよっ、屁理屈を言うなっ!

常務:いや~、忘れました・・

社長:なに~~っ!、何ていうやつなんだ君はっ!

常務:いや~、私は右の耳から入った話は、すぐに左の耳から抜けていってしまうんですよ~~

社長:な、なんだと~~

常務:私はね~、昨日のこともほとんど忘れてしまうくらい、何でも忘れちゃう奴なんですよ~

社長:こしゃくな~~っ、本当にそうなのか?

常務:そうなんですよ~

社長:お前というやつは・・、こういう段になって裏切られるとは思わなかったよっ!

常務:そんなことはありませんよ、私は全部社長の言うとおりにしたんですよ

社長:えっ?、今の話ぶりじゃそんなことはないだろうがっ?

常務:だってあの時社長は「いいかY,これから言うことは全部忘れてくれっ!」って言ってたじゃないすか~~

社長:・・・

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20系客車急行銀河東京駅19761
1976年当時の東京駅に到着した急行銀河号

表題の「ささやかな欲望」を聴くと、頭の画像の中に当時の自分の周辺や心の中、また社会の様子が鮮明に浮かんできます。楽曲はアイドルというよりも昭和歌謡と彼女のオリジナルの雰囲気をプラスしたような曲です。ご承知の方も多い曲だと思います。

当時私は前年の1974年にまだ鉄道もない田舎町だった埼玉県の小さな町から東京都の府中市に引っ越してきてからそんなに日が経っていない時代でした。社会もちょうど日本が戦後も続いた古い文化が新しい文化と入れ替わるような、端境期のタイミングだったように思います。この曲自体には直接大きな思い出はありませんが、その新旧両方の魅力を持った曲に思えました。

「山口百恵」はみなさんご存知の方なので多くは語りませんが、1970年台に森昌子、桜田淳子とともに新三人娘の一人として中学生で国内で大ブレイク、中でも中学生なのに大人っぽい影のある不思議な魅力も加わり、国民的なスターになった女性歌手と、私は思っています。

「山口百恵」といえば後半の「プレイバックpart2」「秋桜」「いい日旅立ち」などが今も有名ですが、デビュー当時はデビュー直後の「青い果実」から延々と約3年くらいは、「少しませた、大人っぽいアイドルソング」を数多く歌い上げました。それは本人がさらに大人っぽくなったのでしょうか?少し様子が変わり、1976年の宇崎竜堂・阿木耀子夫婦の作詞・作曲で大ヒットした「横須賀ストーリー」前後あたりまで続きました。

また同時に「赤いシリーズ」のドラマ、数々の映画出演、またCMでもブレイクしました。

その中で特に印象に残っているのは、ベートーベンのようなかっこに変装した人が他の音楽っぽい人たちと一緒に出てきて、さらにバックには山口百恵の曲が流れ、最後にそのベートーベン男が「百恵ちゃ~んっ」と一言叫ぶ、CMです。多分当時すでに物心がついていた方は、おおかたご存知なのではないでしょうか?

このCMで最初に使用されたのが1974年に大ヒットした「ひと夏の経験」でしたが、時とともに段々楽曲が変わり、1975年後半に発売された表題の「ささやかな欲望」もこのCMのバックで流れました。曲は少し地味でしたが、私の好きな哀愁系のわかりやすい曲で、作詞は千家和也、作曲は都倉俊一でした。

また歌っていた山口百恵の「少し暗い影があるけど大人っぽい秘密めいた魅力」にはピッタリの楽曲だったと思っています。

今でもこの曲は時代を紐解いてくれる1曲です。
私の年齢のせいかもしれませんね・・。

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さてここからはショートショート(ブラック小話)です

ー言い訳ー

これは刑事と窃盗犯の取調室の会話です。

刑事:お前がやったんだろ?

窃盗犯:いえ・・・

刑事:違うっていうのか?

窃盗犯:違うんですよっ!

刑事:どう違うんだよ

窃盗犯:俺がね、たまたま家の鍵が開いていたから、この部屋に入ったらね、コタツの上にね1万円札があったんですよ・・

刑事:その1万円をなぜお前が持っているんだよっ!

窃盗犯:いえね、しばらくそのお札を見ていたら、急にね鼻がむずむずしてね、くしゃみが出たんですよ

刑事:それで?

窃盗犯:そしたらね、鼻水と一緒に、右の鼻の穴から「黒い服を着た悪魔の姿の私のミニチュア」が、左の鼻の穴から「白い妖精の姿をした私のミニチュア」がそれぞれ5人くらいずつ出てきたんですよっ!

刑事:汚ねえなぁ・・

窃盗犯:まあまあ、それでね、彼等がいきなり戦いを始めたんですよ・・

刑事:なに~っ?

窃盗犯:最初はね、彼等の戦いは一進一退で、互角だったですよ

刑事:ふーん、(冷たい感じで)それで??

窃盗犯:信じてないでしょ?

刑事:あたりめえだろっ!でもそれでどうしたんだよっ!

窃盗犯:でもだんだん煮詰まってきたらね、俺も黒い奴らに加勢したんですよっ

刑事:それじゃ百歩譲って、もしお前の言ってることが本当でもお前も共犯じゃねえかっ!

窃盗犯:いや、私はその戦いで黒い奴に加勢しただけなんですよ・・、白い奴が撤退してまた左の鼻の穴に入って行ったんですよ

刑事:また汚ねえなあ・・

窃盗犯:まあまあ、そしたらね黒い奴がその1万円札を拾ってね、俺の鞄の中に運んでね、それでまた右の鼻の穴から戻って行ったんですよ

刑事:でもお前はそれを見てたんだろ?

窃盗犯:そうなんです。それでミニチュアが戻る時にね俺に「これは私たちが勝手にやったことです。あなたは見なかったことにして、いざとなったら私たちのせいにしてかまいませんから」って言ったんですよ。

刑事:(さらに冷たい感じで・・)で、それで・・?

窃盗犯:だから私は盗んでいないんですよ、黒い奴らが盗んだんですよっ!

刑事:ふざけるなっ~~!さっきから大人しく聞いていたらいい気になりやがってっ!

窃盗犯:いえ、本当なんですよっ!

刑事:それじゃ白い奴が勝ったら、どうなるんだ?それはいいことをした時なんだろ?

窃盗犯:そういう時はね、白い奴らは「これは私たちがやったことは忘れてください、あなたがいいことをしたんですよ、手柄はあなたが挙げたんです、あなたが皆から褒められるべきです」って言ってました。

刑事:それじゃ、いずれにしてもお前の都合通りにする悪賢い奴じゃねえかっ!

窃盗犯:・・・

刑事:とにかく、仮にお前の言ってることが本当だとしても「不法侵入罪」と「犯人隠匿罪」だ、それだったら主犯の「黒い悪魔」とやらをここに連れて来てみろよっ!

刑事:出来ねえだろ~?すべてお前の作り話だもんな~っ

窃盗犯:ちょっと待ってくださいね、今連れてきますから・・、ハッハッハックショーンッ!

刑事:クッ!、おっ、おちょくってんのかお前はっ!

窃盗犯:ほら刑事さんに説明しろ

刑事:えっ???

※そして窃盗犯は「黒い悪魔の姿をした小さな人形」を机の上に出し、さらに鼻をつまんで声色を使って言いました・・
黒い悪魔の人形:「これは私たちが勝手にやったことです、彼は何もしていないし、盗んだことも知らないはずです・・」

刑事:ヒャーッ!、頭がおかしくなりそうだっ!助けてくれ~~

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※記事内の画像と表題の曲は関係ありませんのでご承知おきください・・

この曲は今は演歌歌手として第一線で活躍している長山洋子が1984年にリリースしたデビュー曲です。ご承知の方も多いと思います。またこの曲は外国人の作曲で、フィンランドの女性歌手がアルバムで歌っていた曲のカバーだそうです。そして日本語の作詞は竜真知子です。

長山洋子は子供のころから民謡などでならして、若い頃から本格的な歌手になることが目標だったようです。ただ年齢もまだ若く、まずはアイドルとしてデビューしたようです。ルックスもよくこの戦略は功をを奏したようです。

他にもポップス系の歌謡曲やサザンの桑田圭祐が作曲した「シャボン」など多くのヒット曲を歌いました。「シャボン」については後日機会がありましたらこのサイトでも紹介したいと思います。

まずは表題の「春はsa-ra sa-ra」から。

でも実はこの曲はこのサイトを作り始めてから知りました。
早速収録しているアルバムをさがしました。そこで見つかったのが表題のアルバム「ニューヨーコ・タイムス」でした。このアルバムには他のヒット曲も複数収録されていて、けっこう聴きごたえがあります。

さて表題の「春はsa-ra sa-ra」は題名のイメージとは違いアイドルのデビュー曲という感じではなく、哀愁たっぷりで個人的には大変気に入っています。もちろん若い娘の歌うような歌詞ですが、本人の歌唱力も優れていて、けっこう聴きごたえがあります。

不思議な魅力を感じる曲で、演歌やムード歌謡の好きな方でも、ポップスが好きな方でも気に入っていただける曲だと思っています。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

さてここからはコラボサイトの「ショートショート」です。
今回はエッセイ的な話です。(少々ブラックですが・・)



ー鹿せんべいー

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私が子供のころに北野田の叔母が私たち兄弟を奈良に連れて行ってくれました。

当時私はすでに埼玉に住んでいましたが、休み期間中はおおかた大阪・豊中の父の実家ですごしていました。そしてある日とつぜん母から「明日、○○おばちゃんが奈良に連れて行ってくれるって」といわれました。当時奈良という町は知っていましたが、小学校の低学年だったので名前を聞いたことがあるというくらいでした。

北野田の叔母は叔父と一緒に車で迎えに来てくれましたが、今から考えてみると北野田(堺市南部)からわざわざ豊中まで来て、さらに奈良に行き、そして私たち兄弟を豊中まで送り、さらに北野田に帰るという相当なハードスケジュールになったはずで他人の家の子供によくそこまでしてくれたと感心しています。

話が少し脱線しましたが、今なら「奈良といえば鹿です」
でも当時は奈良に鹿がたくさんいることをまったく知りませんでした。

だから奈良に着いて、街中に鹿がたくさんいるのを見てびっくりしました。
世界広しといえど、大きな町に野生の鹿がこんな大量に闊歩している町はほかにはないのではと思います。しかも観光地とはいえ、大都市の通勤圏でもあります。

鹿はご存知の通り、「鹿せんべい」が大好きです。
当然私は「鹿せんべい」は知りませんでした。
「奈良の鹿」を知らないのに、「鹿せんべい」だけ知っている、というのはおかしいですもんね

最初は「鹿せんべい」は買わずに寄ってくる鹿をなでたりしていましたが、
あちこちで鹿せんべいを売っているのをみかけ、早速買ってもらい鹿にあげたのを憶えています。

鹿はほんとうに食いしん坊で、鹿せんべいを見せて、一頭にあげると、どーっと寄ってきます。
ぬれた鼻を体に押し付けて、「フンッ、フンッ」という感じです。

しまいにはこちらで持っている残りのせんべいも強引に奪おうとします。
やはり「フンッ、フンッ」と興奮しています。

鹿せんべいはたしかにすごくいい匂いがします。
いわゆる瓦せんべいみたいな感じです。

「そんなに美味しいのなら、ちょっと」
と思い、私も少しかじってみました。
「ゲゲゲーっ」
味がまったくありません。

鹿はこれの何が美味しいと思っているんでしょうか。

そのうち他の人たちもたくさん鹿せんべいをあげはじめました。
みるみるうちに大量の鹿が集まってきました。

「フンッ、フフンッ、フン」
「フンッ、フンッ、フフンッ」
「フンッ、フンッ、フンッ」

皆興奮しています。

さらに仲間同士で戦いになる鹿たちもでてきました。

どうやら鹿たちの戦いを誘発してしまったようです。

私のほかにも結構観光客の子供がいて、その子たちも鹿せんべいをあげていました。

鹿がよろこぶので、子供もうれしそうです。
「キャーッ、かわいい」とか「ほら食べっ」
とか子供達もうれしそうに騒いでいます。

そのうち鹿も子供たちも興奮が最高潮に達してきました。

鹿は子供たちの鹿せんべいをねらって追いかけ始めました。

「ぎゃー」「こわいーっ」
子供たちは逃げ惑いはじめました。

鹿たちはさらに興奮して子供たちを追いつめます。
「フンッ、フンッ」
「フンッ、フンッ、フーッ!」

とうとう逃げるある子の後に鹿が十数頭が群れになって追いかける、そんな状態になってしまいました。
「ぎゃーっ」「フンッ、フンッ」「フフンッ、フンッ、フーッ!」

私は奈良では大仏さんとかいろいろ見学しましたが、今でもその光景が忘れられません。
奈良に行ったときの最大の思い出といえば、この光景です。

その子はその後どうしたんでしょうか?

もしそのとき鹿につかまってしまったら、どういう状態になってしまったんでしょうか?

十数頭の鹿たちに「フンッ、フンッ」「フンッ、フフンッ」
「ベロベロベロ」とやられ、
「ガツ、ガツ、ガツ」
「フーッ」
「げっぷっ・・・・・」

下記の記事はタウンクリニックドットコム・時代文化ネットのサイト管理人日記「ぶらぶらうだううだ」に2011年5月23日に掲載された記事の後半の作品を移設したものです。また内容は現在の社会規範や法律に沿った形で一部改修しております。

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年11月9日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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この曲のメロディーや詞は、閲覧者様はご自身の責任と判断で、動画・通販の試聴サイトなど他サイトをご利用いただくようお願い致します。また紹介文の内容はオリジナルですが、文章の正確さを期すために年次など一部データのみネットや他資料の公開情報を参考にしています。またモラルや法令を遵守するように心掛けております。※歌詞の一部掲載はシステム提供元のLINEとJSRACの契約上可能です。他の画像等は当事者の許可のないものは掲載を控えております。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
この曲はオフコースの曲の中では数少ない異色の曲です。
もちろん異色だから取り上げるわけではなく、個人的な好みを満たしているからです。
聴いたのは7~8年前と記憶しています。テレビかラジオの番組だと思いますが、その時に1回聴いただけです。
その後は少なくとも私が観たり聴いたりした放送番組では1回も聴いたことがありません。

正直な感想は「えっ?こんな曲があったんだ!」と「いい曲じゃん!」という2つの印象を持ちました。ということで大変気に入りましたが、前述のようにその後は一切聴くことはありませんでした。

この表題の曲「忘れ雪」は1974年に発売され、作詞は松本隆、作曲筒美京平です。
まずこの時点で「なぜオフコースなのに、他の作詞家や作曲家が曲を作るの?」と感じると思います。
私も同様でした。曲調はオフコース独特の透明感のあるメロディーとは少し違い、当時流行っていたフォークソングからの流れをひいた哀愁たっぷりのシンガーソングライター系の感じです。NSPとかグレープ、とんぼちゃんなどと同系統の楽曲というイメージに感じました。ただ曲の中では彼ら二人の絶妙のハーモニーを随所で聴くことができます。これは他の同系の曲をしのぐような部分だと思っています。

ただこの曲は歌っているオフコース自体が発売当時以降は、アルバムにも収録しなかったようです。
つまりシングル盤以外では、表題のシングル盤を集めたベストCD以外には収録されていないようです。これらの明確な理由や詳細な事情もまったくわかりません。

また私はオフコース・リークではないので、熱心なファンの方々がこの曲をどのように感じているかもわかりません。ただ私は聴いた第一印象で「私の好みのタイプの曲」だと思い掲載しました。

この曲については、ネットでは色々な情報が出ているようです。ただ放送では特別な情勢の変化や、大きなきっかけでもない限りまず今後も聴く機会は限りなく少ないのでは?と思われます。

聴くために一番手っ取り早い方法は表題のCDを買うことですがこれも安価ではありません。でもこのCDはこの大物ミュージシャンの期間内のシングルがすべて収録されているので、それ自体は別の意味でも買う価値はあると思っています。

ぜひとも聴いていただきたいと思う1曲です・・

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さてここからは、表題の曲とは関係のないしがないサラリーマンの日常のちょっとした話です。
こんなことって、よくありますよね?・・・、ないか・・・

「ある日の電車の出来事」(ショートショート)

世の中には本当にいろいろな人たちがいます。
いつも営業などで外回りをしていると、いろいろな人たちに出会います。

ある日私はいつものように営業の外回りで電車に乗りました。
電車は結構混んでいました。それでもなんとか座ることができ、ほっと一息ついていました。

となりの駅に着くと、ほとんど空席はなくなりました。

近くにひとつだけ空席がありますが、とにかく小さな子供でも窮屈なくらいの広さです。

そこへ中年のわりと体格のいいご婦人が乗車してきました。
ご婦人は、ふとその隙間を一瞥しました、多分自分のサイズと席の隙間を計算していたのでしょう。

少し間がありましたが、急にその席めがけて突進を始めました。

ドドドドドッ

「ぎょっ」

私も驚きましたが、一番驚いたのは多分その隙間の両側に座っていた人でしょう。
どちらもやせ形の男性でしたが、2人とも膝を開いて自分の領地を確保するかのようにして座っていました。

『無理だろう?』
『無理、無理!』
『無理だな・・』

近くにいる乗客は皆、言葉には出しませんが暗黙の了解のように納得していました。

しかしご婦人の決心はまったく揺らいでいる感じはありませんでした。

ドドドドドッ、と席に近寄り、

「ドスン!」

まずはその隙間に大きなおお尻を落とし込みました。

「ひゃっ」

両側の男性はたじろぎました。

そこへご婦人のさらなる一撃が
「グリグリグリ」
「グリグリグリ」

とお尻と腰を上手にくねらせて、そうちょうどドリル穴にねじをねじ込むような要領で・・

もう両側の男たちはたまりません。

「ひえー!」

男たちの体はその強烈な圧力に押されどんどん反対側に押し出されました。
膝など開いている場合ではなくなりました。

そして仕上げです。

「ぐいっ!」

今度は腰を後に押し込みました。

これで完成です。

反対側から見ると、ご婦人は自分の領地はもちろんのこと両側の男の領地も大きく侵略することに成功しました。

お見事でした。

両側の男はしなだれ、そして窮屈そうに膝をせばめていました。

私も含め車内の人たちもしばし圧倒され、同時に感動で無言になりました。

そしてご婦人の表情は見ている私たちに向かって・・
『何か?』
と言っているかのように見えました。

私も含め周りの乗客たちは呆気に取られ、心の中でこうつぶやいたに違いありません・・。
『い、いえ何も・・・』

そして同時に、おそらくこう感じていたに違いありません・・。
『俺のとなりじゃなくてよかった・・・』

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上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年9月16日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
1973年に発売された郷ひろみのシングル第5弾です。作詞は岩谷時子、作曲は筒美京平です。
当時は大ヒットして、歌謡大賞の放送音楽賞までもらった曲で、ご存知の方には細々とした説明は不要の曲だと思います。

私の主観ですが、郷ひろみは以前紹介したデビュー曲男の子女の子のB面「夢を追いかけて」同様、リズミカルでしかも哀愁たっぷりのエキゾチックな曲がすごく似合う歌手だと思っています。

当時は野口五郎、西城秀樹(故人)とともに「新御三家」といわれていたトップアイドルで、逆に音楽性云々という評価はあまりされていなかった印象がありますが、実は郷ひろみの声はよくるようで、めったにない声だと感じています。物まねのタレントによく真似されるのも、この知名度と両方を持っている数少ない歌手だからだと思います。

特に
「どうしたのついて来ないのかい~」(引用)
の入りの部分とサビ部分?の、
「青い海波間には薄紅のサンゴ礁~」(引用)
の部分はおぼえやすく、特に最初の部分は皆に口ずさまれるようなメロディーだった印象です。

私はこの曲を聴くと、アイドルソングというよりは個人的には「昭和歌謡」の名曲で、当時の映像が浮かび上がるような曲の一つと思っています。

前述とは矛盾しますが、分類上は一応昭和のアイドル・ポップスに分類しました。

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下記の文章は2012年2月3日に管理人ブログに掲載した創作文です。ずっと昔の思い出を語る話で、現実社会の人間を見た目で冒涜したり人間の価値の判断材料にするような話ではないことをご承知おきください。また内容は架空の創作でありますが、現在の社会規範や法律などを鑑み、一部分は改修済みです。

「顔の思い出・ヒロシ編」(ショートショート)

ヒロシは今や立派な企業戦士で大企業の課長職です。
でも学校時代は目立たない、さえない人たちの中の一人でした。
今となっては懐かしい時代ですが、ヒロシはその学校時代に忘れられない思い出があります。

それは・・・
顔の思い出です。

人間は動物です。
人間の顔は当然動物ですから、よく見ると何かしらの動物に似ていることが多いものです。
実はそんな体験が他人事でないことを自覚する出来事がヒロシ自身にもありました。

それは前述のように学校時代でした。

ある日の授業中でした。
ある教科の先生がヒロシを指名して答えさせました。
そのまま席に着こうとした、その時に、先生はいきなり、
「ヒロシ、お前は『カワウソ』みたいなやつだな」
と言ったのです。

「ひゃはははっ!」
クラス中けっこううけました。

「えっ?」
「・・・」

多分全体的な印象だと思いますが、
言われるまでは自分ではそんなに似ているとは思ってはいませんでしたが・・
でも言われてみると見た目の印象もあるのでしょうが・・、
制服もビシッと着ていなくて、あまり冴えない地味な感じで、さらにあまり清潔感もなく、なんとなくガチャガチャしていて

・・

当時はヒロシ自身も、
「なるほどっ、いいとこ突かれたな・・」
と感じました。

今は人気の『カワウソ』ですが、当時はこんなメジャーな生き物ではなく、ましてやペットの対象などとは程遠い動物だったようにおぼえています。

クラスの皆もそう感じたのか、それ以来しばらくは
「おいっ、カワウソっ!」「カワウソ君っ!」
などと呼ばれていました。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

でもその後数十年皆とは会ったこともなく、お互いに顔さえ正確には思い出せないくらいの年月が経ってしまいました。
こうなると人間の記憶というものは不思議なもので、その人の「カワウソ」っぽい特徴だけが強烈に記憶に刻み込まれ徐々に初対面だった当時よりはるかに「カワウソ」に近い印象になっていくものです。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そしてやはりヒロシの場合も進学や転居などもあり、時は流れました。
当然のことですが、ヒロシのことを「カワウソ」などと呼ぶ人はいなくなりました。

でも当時ヒロシを『カワウソ』に似ていると思っていた人たちは、何かのきっかけで偶然ヒロシのことを思い出す機会があったとすると・・・

「えっ?」
「ヒロシ?」
「ああ・・」
「あの・・」
と、下記のような映像が頭の中に浮かび上がるに違いありません・・

「首から下は普通の人間でスーツを着て、すましてるけど、顔は完全な『カワウソ』・・・?」

さて大体想像はつくと思いますが、ヒロシとは誰のことでしょうか??

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年8月26日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)

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【選曲した曲のメロディーと名曲という表現について】


この曲のメロディーや詞は大手検索サイトなどで「ミュージシャン名」「曲名」を入力すると試聴やダウンロード、歌詞サイト、動画サイトなどが複数表示されているものが多数あると思います。もちろんそれらは当サイトとは関係ない外部サイトなので、合法かどうかなども含め閲覧者様ご自身の責任においてご利用されるか否かのご判断をしていただくようお願い申し上げます。それから文章の正確さを期すために年次など一部データは公開情報を参考にしています(文の内容はオリジナルです)。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
※記事内の画像と表題の曲は関係ありませんのでご承知おきください・・

この曲は1985年末に公開された映画「雪の断章」の主題歌で、同じ1985年に発売されました。
前回の「リアウィンドウのパームツリー」に登場した友人と卒業(・・出来ればの状態でしたが・・)旅行と銘打って、能登半島や北陸に旅行に行った時と重なる時期でした。

当時は曲はかなりヒットしたので、発売時からレコードを持っていて、列車などで聴くカセットにも収録して、車窓を観ながら聴いて楽しんでいた曲の一つです。

ちょうど冬の北陸や能登半島ということで、その旅行とこの曲の内容が一部一致していて、この曲を聴くと当時の能登半島の物悲しい冬の農村の風景が浮かび上がってきます。まだ国鉄時代で金沢から気道車の急行「能登路号」で輪島に行き1泊して、千枚田などを見物、バスで禄剛崎の近くまで行きました。そこからはほとんど人のいないような冬の海岸線を2人で歩き禄剛崎に着きました。そこですでに夕暮れで、宿をさがして1軒だけあったユースホステルに頼み込んで泊めてもらったのをおぼえています。翌日は朝に珠洲を出る急行「能登路号」で4時間くらいかけて金沢に戻りました。

私は両親が石川県でしたが、能登は親戚が海鮮料理などを出すドライブインを経営しているのにもかかわらず、その時が初めての能登見物でした。

でも何よりも金沢では絶対味わえないような冬の雪の少し積もった冬枯れの農村風景が広がり、この曲のメロディーや詞と本当にマッチしていたと感じました。

今でもこの曲を聴くと当時の風景が浮かんでくるくらいです。

もちろん歌詞やメロディー全体が気に入りましたが、特に最初の入りの
「屋根に哀しみ乗せた列車の デッキに立ってあなたVサイン~」(引用)

というところがすごく印象に残っています。

作ったのは、作詞は松本隆、作曲は筒美京平とゴールデン歌謡曲コンビでした。

これはヒット曲ではありますが、ここで取り上げたいと思う1曲です。

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ということで、またまた曲とはほぼ関係ありませんが、ショートショートを1話ほど・・

09上野ハシビロコウ2

「迷子のハシビロコウ」(ショートショート)

ここはある動物園
ある日、警察から
「あそこの橋のところにハシビロコウという鳥がいて、誰が飼い主かわからないので、わかるまで預かってくれないか?」
と依頼がありました。
「いいですよ」

そしてほどなくハシビロコウが動物園に到着しました。
飼育員は、ハシビロコウに聞きました。
「君はどこからきたのかな?」
ハシビロコウ:「・・・」

「君の名前は?」
ハシビロコウ:「・・・」

「君のご主人さまは迎えに来るかな?」
ハシビロコウ:「・・・」

「僕はもちろん動物が言葉がわからないのは知っているけど、何か反応してよね!」
ハシビロコウ:「・・・」

「君の元いたのは動物園かな?」
ハシビロコウ:「・・・」

「君はお腹は減ってないの?」
ハシビロコウ:「減ってるよ」

「えっ?、しゃべった!」
「人間の言葉がわかるんだ、しかも日本語を・・」

ためしに餌をあげてみたら

バクッ! ムシャムシャッ!
と食べました。

翌日もまた同じように質問をたくさんしましたが、ハシビロコウはずっと無言でした・・

でも同じように最後に、
「君はお腹は減ってないの?」
と聞くと、
ハシビロコウは「減ってるよ」と答えました。

そして餌をあげてみたら、やはり・・

バクッ! ムシャムシャッ!
と食べました。
       :
そんな毎日が続きました。

そしてついにハシビロコウはこの動物園で飼われることになってしまいました。

ハシビロコウは心の中で言いました。
『沈黙は金なり・・』

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。写真も本人が撮影しています。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年8月11日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
「泣かないで」は1983年に発売されたシングルのB面曲(現在のC/W)です。
この曲はこの曲が入っているシングルレコードのA面「蒼いパリッシュ」を持っている人ならたいていご存知だと思います。

表題の「泣かないで」の作詞は阿久悠、作曲は馬飼野康二です。
ちなみにA面の「蒼いパリッシュ」は1980年の大ヒット曲「私はピアノ」に続くサザンオールスターズの桑田圭祐の作った曲で、そこそこヒットしました。

ただ若いころ、特に大学時代に個人的にファンだった私にとっては高田みづえの曲はA面もB面もなく、地味目な哀愁のメロディー好きな私にとっては、どちらかというとB面曲のほうが好みでした。もちろんレコード会社も歌手ご本人も売らなければいけないので、やはり派手な曲や、色々な人から愛されそうな曲、口ずさみやすい曲、話題性のある曲などがA面になることが多く、B面曲というのはテレビなどで披露される機会も少なく、レコードを持っている人の他にはライブやコンサートなどに行かない人はなかなか聴く機会もありません。

この曲も高田みづえらしい、リズミカルだけど暗めの哀愁たっぷりの物悲しいメロディーの曲と詞です。メチャクチャ暗い表現になりますが、夜の車中、ひとり暮らしの冬の夜や少し古めの居酒屋などで一杯やりながら、しみじみ聴くと相当にこの曲の雰囲気が味わえると思います。

特に
「~男のパジャマの 腕をまくりあげて はしゃいでいるのは もしか悲しみのきざしか 泣かないで 泣かないで」(引用)
というサビ?のところのメロディーと詞は印象に残っています。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

上記の話とは直接関係ありません、というよりまったく関係ありませんが・・、皆さんもこんな風に思ったことはありませんか??

コバンザメ(ショートショート)

どうでもいいような話ですが・・

最近テレビなどで以前はあまり見れなかったような大きなサメなどが紹介されるのをよく見ます。

そこでひじょうに不思議に思っていることがあります。

それは飼われているサメにはことごとくコバンザメが付着していることです。

私は「さかなくん」のように有識者ではないのですが、コバンザメは文字通り、サメなどに付着して栄養や安全を得るという種類の魚みたいです。(本当かな・・?)

これを文字って人間の世界でいうとこれ以上ないような悪口になってしまう傾向がありますが、きわめて効率のいい生き方をしている生物であるともいえます。

でも海洋などならいざ知らず、水族館にいるサメになぜコバンザメがついているの?
とどうしても不思議になります。

わざわざコバンザメも捕まえてきて、装着しているのでしょうか?

「ほら、ちゃんとコバンザメは獲ったか?・・・」
「だめじゃないかっ!ちゃんとコバンザメも獲らなきゃ・・、ちゃんとやれよっ!」

とか言いながら捕まえてるのでしょうか?

☆☆☆☆☆

そもそももっと不思議なことがあります。

自然の海洋のコバンザメはどんなタイミングで付着するのでしょうか?

ジンベイザメみたいにおとなしくて肉食でないものは別にして、大きくて獰猛な人食いざめにどのように近付き、どんなタイミングでくっつくのか?

サメの生態よりその秘密のテクニックのほうがはるかに興味をそそります。

獰猛なサメ「何なんだ、こいつは。いつの間にひっつきやがって。手がないからはずせないよ~~」
コバンザメ「思い知ったか、俺は一生お前から離れてやらないぞ~~、ヒッヒッヒッ」

そういえば人間社会のコバンザメ野郎も気が付くといつの間にか付着しているのを見かけます。

やはりコバンザメは魚も人も最上のテクニシャンです。

☆☆☆☆☆

ほら今日もあの恐怖の上司が私に向かってきます。

「こらあ、なんだ!この成績は?」と言いながら・・。

ふと見ると、背中にはしっかりあのコバンザメ野郎がひっついていて、
そこからこちらを睨みながら、ニヤリと薄笑いをうかべ、小さな声で、
「コラ・・、ナンダコノセイセキハ・・」

うーん、やられた・・・

☆☆☆☆☆

上記の記事はサイト管理人日記「ぶらぶらうだううだ」(旧穴狙い千ちゃんの旅行記2)に2011年12月31日に掲載した記事を移設したものです。

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年8月8日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)

※なお一部は現在のモラルや法律などに抵触しないように、また内容的に改修したほうがいいと判断した場合は当初の内容を一部修正しておりますのでご承知おきください。

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