哀愁のメロディー中心の心打つ名曲さがし&自作ショートショートコラボサイト

哀愁のメロディー中心の名曲さがしを中心に、小話・ショートショートのコラボサイトです。個人的な感性で名曲と感じる楽曲を選曲しています。時代、ジャンル、ヒットの有無は不問で私のレコード・CDのコレクションを中心に紹介します。また同時掲載で自作のブラックな小話、ショートショートを掲載しています。

記事中の人物名等は特別な事情がある場合をのぞき原則敬称略です。

【当サイト概要】

当サイトは2つのテーマの「コラボサイト」です。感性と内容が問われるサイトです。
1名曲さがし
個人的感性で哀愁系の曲を中心に名曲と感じる曲の選曲のみ
をしています。
2創作「ショートショート」
完全にオリジナルで、内容は日常生活や動物の擬人化などを中心に特に大きな制約は作らず、自虐的なギャグ・ドタバタ系が中心です。

※素人ですが、一応はるか以前に劇関係のキャストや演出、脚本の経験はあります。


rec2

※メロディーや歌詞は、他サイト等で閲覧者様ご自身の判断と責任でご確認いただければと思います。楽曲の掲載は現行の国内法を順守するように心掛けております。また楽曲のレコードやCDコレクション所有の有無も記載しています。
※「ショートショート」はすべて当サイト管理者自身の創作で無断転用や転載を禁止します。


サイトのタイトル画面は金沢市から見た白山連峰遠景(2019.3:撮影はサイト管理者)

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歌手・アーティスト別(さ行)

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
今回も先に「ショートショート」(ブラック小話)からです

ー聞くか聞かないか?ー

09上野ハシビロコウ2
ここはZ社、これから役員が集まって会議が開かれようとしていました。

会議の前の雑談で平取締役のA氏が、X専務とY社長と3人で歓談していました。

まずA氏がX専務に質問しました。
初歩的なことですけど、専務のモットーの「聞き上手」って具体的にはどういうことなんですかね?
すかさずX専務は次のように答えました。
「それはねぇ俺のポリシーなんだけど、まずは人の話を聞くことが大切だということなんだよ。人によって都合や事情はそれぞれだからねぇ」

するとA部長はさらに質問しました。
「でもそれを聞いていたらきりがないので、この間社長は時には「聞かないワザ」ということにも触れていたけど、それはどういうことなんですかね?」

するとその話を聞いていたY社長が答えました。
「それは俺のポリシーさ。結局出来ることは限度もあるし、時には自分の判断で押し切ることも必要だってことさっ!」

A氏はさらに突っ込みました。
「それは具体的にはどうするんですか?」

Y社長は、
「それはこの後会議に出席すればわかるよ・・。まあ見てなさいっ!」

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして会議が始まりました。
A氏:「さっき専務や社長と話していたんですが、X専務のポリシーの『聞き上手』を持って聞いてほしいんですけど、『□▲◎の案件』について私は『カクカクシカジカ~~~』と思うんですけど、どうお考えですかね?」

X専務:「うむ、とりあえず話は聞いておこう。私のポリシーはなんと言っても『聞き上手』だからねっ!」

A氏:「ありがとうございます。それでは『聞かないワザ』をモットーにされているY社長にあえて聞きたいと思います。今の話についてはどうお感じになっていらっしゃいますか?」

Y社長:「えっ!何?、俺は『聞かないワザ』がモットーだから、耳栓をしていたんで、聞こえていなかったんだよ」

A氏:「・・・」

A氏は少しびっくりしました。しかしすぐ気を取り直して言いました。

A氏:「本当なんですか?それじゃ困りますよっ!もう一度内容を言いますが、よろしいですか?」

Y社長:「えっ?今も何か言った?今も耳栓をしているから君が今何を言ったかも、私には聞こえなかったよ・・」

A氏:「はあ?社長はそんな方だったんですか?これじゃ話になりませんねっ!耳栓を取ってくださいよっ!」

Y社長:「いやあ、また水を差すようで悪いけど・・、また何か言った?」

A氏:「・・・」
(💢 💢 💢)

取りつくしまがないのでA氏はX専務に向かって言いました。

A氏:「X専務、聞いてくださいよっ!社長はあんなことを仰っていますよ、『□▲◎の案件』はこのまま社長の独断先行で実施されてしまいそうな状況ですよ。何とか先程私が申し上げた考えを社長に伝えてくださいよっ!」

X専務:「えっ?私はポリシーに従って人の話はとりあえず全部聞くんだけど、ただ聞いていただけでもうほとんどは忘れているんだよっ、悪いな!さっき何て言ったの?もう一度教えてくれよ・・」

A氏:「・・・」
(それって聞いているうちに入んないだろうが💢)

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2023年1月27日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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さてここからは「名曲さがし」です

ー花のささやき・下成佐登子ー
(哀愁のメロディーの名曲)

1985年に発売された曲です。フジテレビ系のアニメ・小公女セーラのオープニングテーマ曲になっていたようです。

本当は1978年のデビュー後数年間に次々と発売された当時はそれなりに知られていた曲を取り上げようと思いましたが、最近この曲を聴いて、まずはこの曲から、と思い最初に紹介します。前述のヒット曲はまた機会があったら紹介したいと思います。

1978年にポプコン・九州大会でグランプリを取りデビューしたようですが、たしかその時に「コッキーポップ」という名前の番組だったと思いますがラジオの音楽番組で、彼女の「秋の一日」という曲が流れていたので、この歌手の存在を知りました。

奇麗な声で、物悲しいメロディーを歌うという印象でした。当時はこのように自作の曲を歌うミュージシャンが結構いたので珍しい感じではありませんでしたが、とにかく声が奇麗だったのが印象に残りました。

でも当時はレコードを買ったりはしませんでしたが、哀愁のメロディーを中心にレコードやCDを集め始めた時に、偶然べストCDを聴いたらすごく気に入り、多くの曲を聴くようになりました。

しかし表題の曲を知ったのはこのサイトを構築し始めた後で、昨年のことです。今まで持っていたベストCDにはこの曲は収録されていませんでした。というのも下成佐登子はある時をさかいにアニソンなど、少し傾向を変えた曲を歌うようになったようです。その時にこの「花のささやき」が発売されたようです。下成佐登子も曲は作りますが、この曲は作詞・なかにし礼、作曲・森田公一です。

オリジナルとは思えないようなおぼえやすいメロディーで、しかもよくアニソンにはある、哀愁系のメロディーです。

ご承知の方もいるとは思いますが、今はネットでわりと容易に曲調を知ることはできますので、ご自身の判断と責任でどんな曲か確認されても、と思います。多分気に入る方もいらっしゃるのでは?と思います。

【当サイトは選曲のみのサイトです】
この曲のメロディーや詞は、閲覧者様はご自身の責任と判断で、動画・通販の試聴サイトなど他サイトをご利用いただくようお願い致します。また紹介文の内容はオリジナルですが、文章の正確さを期すために年次など一部データのみネットや他資料の公開情報を参考にしています。またモラルや法令を遵守するように心掛けております。他の画像等は当事者の許可のないものは掲載を控えております。

ブログネタ
あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
※記事内の画像と表題の曲は関係ありませんのでご承知おきください・・

この曲は1985年末に公開された映画「雪の断章」の主題歌で、同じ1985年に発売されました。
前回の「リアウィンドウのパームツリー」に登場した友人と卒業(・・出来ればの状態でしたが・・)旅行と銘打って、能登半島や北陸に旅行に行った時と重なる時期でした。

当時は曲はかなりヒットしたので、発売時からレコードを持っていて、列車などで聴くカセットにも収録して、車窓を観ながら聴いて楽しんでいた曲の一つです。

ちょうど冬の北陸や能登半島ということで、その旅行とこの曲の内容が一部一致していて、この曲を聴くと当時の能登半島の物悲しい冬の農村の風景が浮かび上がってきます。まだ国鉄時代で金沢から気道車の急行「能登路号」で輪島に行き1泊して、千枚田などを見物、バスで禄剛崎の近くまで行きました。そこからはほとんど人のいないような冬の海岸線を2人で歩き禄剛崎に着きました。そこですでに夕暮れで、宿をさがして1軒だけあったユースホステルに頼み込んで泊めてもらったのをおぼえています。翌日は朝に珠洲を出る急行「能登路号」で4時間くらいかけて金沢に戻りました。

私は両親が石川県でしたが、能登は親戚が海鮮料理などを出すドライブインを経営しているのにもかかわらず、その時が初めての能登見物でした。

でも何よりも金沢では絶対味わえないような冬の雪の少し積もった冬枯れの農村風景が広がり、この曲のメロディーや詞と本当にマッチしていたと感じました。

今でもこの曲を聴くと当時の風景が浮かんでくるくらいです。

もちろん歌詞やメロディー全体が気に入りましたが、特に最初の入りの
「屋根に哀しみ乗せた列車の デッキに立ってあなたVサイン~」(引用)

というところがすごく印象に残っています。

作ったのは、作詞は松本隆、作曲は筒美京平とゴールデン歌謡曲コンビでした。

これはヒット曲ではありますが、ここで取り上げたいと思う1曲です。

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ということで、またまた曲とはほぼ関係ありませんが、ショートショートを1話ほど・・

09上野ハシビロコウ2

「迷子のハシビロコウ」(ショートショート)

ここはある動物園
ある日、警察から
「あそこの橋のところにハシビロコウという鳥がいて、誰が飼い主かわからないので、わかるまで預かってくれないか?」
と依頼がありました。
「いいですよ」

そしてほどなくハシビロコウが動物園に到着しました。
飼育員は、ハシビロコウに聞きました。
「君はどこからきたのかな?」
ハシビロコウ:「・・・」

「君の名前は?」
ハシビロコウ:「・・・」

「君のご主人さまは迎えに来るかな?」
ハシビロコウ:「・・・」

「僕はもちろん動物が言葉がわからないのは知っているけど、何か反応してよね!」
ハシビロコウ:「・・・」

「君の元いたのは動物園かな?」
ハシビロコウ:「・・・」

「君はお腹は減ってないの?」
ハシビロコウ:「減ってるよ」

「えっ?、しゃべった!」
「人間の言葉がわかるんだ、しかも日本語を・・」

ためしに餌をあげてみたら

バクッ! ムシャムシャッ!
と食べました。

翌日もまた同じように質問をたくさんしましたが、ハシビロコウはずっと無言でした・・

でも同じように最後に、
「君はお腹は減ってないの?」
と聞くと、
ハシビロコウは「減ってるよ」と答えました。

そして餌をあげてみたら、やはり・・

バクッ! ムシャムシャッ!
と食べました。
       :
そんな毎日が続きました。

そしてついにハシビロコウはこの動物園で飼われることになってしまいました。

ハシビロコウは心の中で言いました。
『沈黙は金なり・・』

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。写真も本人が撮影しています。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年8月11日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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【選曲した曲のメロディーと名曲という表現について】

この曲のメロディーや詞は大手検索サイトなどで「ミュージシャン名」「曲名」を入力すると試聴やダウンロード、歌詞サイト、動画サイトなどが複数表示されているものが多数あると思います。もちろんそれらは当サイトとは関係ない外部サイトなので、合法かどうかなども含め閲覧者様ご自身の責任においてご利用されるか否かのご判断をしていただくようお願い申し上げます。それから文章の正確さを期すために年次など一部データは公開情報を参考にしています(文の内容はオリジナルです)。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
この曲は発売時期は正確には知りませんが、1986年の初頭だと思います。
TBS系列のドラマ「親にはナイショで・・・」の挿入歌として番組中に流れた静かな曲です。

ちょうど大学4年の時で、私は卒業できるか微妙な約40単位(うち必修科目も複数・・)という極めてきびしい情勢の中で、友人の下宿に入り浸って勉強するフリをしていいたころにやっていた番組です。結局なんとか卒業はできたのですが、就職面談でも相手の人事の人からことごとく、「どうでもいいけどあんた卒業できるの?」と何回も言われました。

この番組の前に「セーラー服通り」というドラマをやっていて、そのドラマはかなり視聴率も高く、主題歌はあの渡辺美里の有名な大ヒット曲「My Revolution」だったとおぼえています。

友人は以前の「踊り子」(村下孝蔵)の時に記載した、感性と勘のすぐれた奴で、実は毎週欠かさずこの2番組を観ていて、一緒に部屋にいた私も当然観ることになりました。当時はさすがにもう牛丼屋の夜~深夜のバイトはやっていなかったので時間的には余裕はありました。

さてこのドラマの細かい内容はほとんど忘れましたが、主演が安田成美でした。そして一番印象に残っているのは、今は役者として大活躍している尾美としのりです。色々な事情はすでにおぼえていませんが、とにかく「オタク」の役を熱演していたのが印象的でした。

そして表題の曲「リアウィンドウのパームツリー」が結構頻繁に流れていたのをおぼえています。他に主題歌があったようですが、このドラマ、ひいてはあの時の情景はこの曲を聴くと鮮やかに映像が浮かび上がるくらいです。

歌っていた彩恵津子の柔らかい声もこの曲にぴったりでした。
本来暗い哀愁系の音楽が好みの私もこの曲には一目おいていました。

特に最初の入りの、
「皮のジャケット着こんで とりとめない話にピリオド~」(引用)
という部分と、

途中の、
「好きだけれど 愛してない~」(引用)

という部分は印象に残っています。

この曲は作詞が彩恵津子本人で、作曲は古本鉄也という他の方のようです。

彩恵津子はどちらかというと、この前年のNHKの朝ドラの「澪つくし」の曲の方が有名みたいです。このドラマは超有名なので細かい説明の必要はありませんが、今は「科捜研の女」でならしている女優の沢口靖子の事実上のデビュー作でもあり、出世作でもあります。かなり後に銚子に旅行に行った時も地元の銚子電鉄では、そのころも「澪つくし号」というトロッコ車両を連結して運転していたくらいです。

反対に表題の「リアウィンドウのパームツリー」はあまり大ヒットはしなかったようですが、個人的には哀愁系以外ではかなり好きな曲のひとつです。

一度聴いてみてください。気に入る方も多分たくさんいると思います。

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ということで、曲とはあまりというか、ほぼ完全に関係ありませんが、こんなことを妄想して、その内容を綴ります・・

「オットセイとカンガルー」(ショートショート)

テレビ番組ではよく以前の「北の鷲たち」のように動物の生態などを放映しています。

ある晩も私は夜、何気なくこのような番組を観ていました。
それは「オットセイの生態」の番組でした。

群れで海辺でのったりしているオットセイたち。
しかしそこには種の存続のためにし烈な生存競争が繰り広げられています・・

オットセイは一夫多妻制で、力のあるほんの一部のオスがたくさんのメスを連れてハーレムを形成するそうです。他の多くのオスはあぶれて、いじけたように隅っこでコソコソ暮らす・・

種の存続のためには、優秀なオスの遺伝子が多くのメスによって継承される、
乱暴ではありますが、一理ある、たしかそんな内容でした。

他にもいろいろな生態が紹介されましたが、その部分が特に強烈に印象に残りました。

そんな内容を見て「なるほど!」

納得して眠りにつきました。

そして一晩たっぷり寝て、朝起きると・・
というより、目覚ましが「ジリリリリリ」と鳴ったので止めようと思い、時計に手を伸ばそうとしました。
しかし・・

「アレ?」

手が伸びない・・

慌てて自分の手を見てみると、手であるはずのところには小さなヒレのような物がついていました。

そうです。私はオットセイになってしまっていたのです。

もしかしたらアシカでは?とも思いました。
オットセイとアシカは似ています。私は違いがよくわかりません。

でもなぜか、私はアシカではなくオットセイであると自分で確信しました。

昨日テレビを見ていたからでしょうか?

いずれにしても、そんなバカなことが・・・

でも現実に私はオットセイになっていました。

いそいでベッドからおりて、階段を這うように降りて、ダイニングに向かいました。
すると部屋に入る前に妻の声がしました。

「あら、あなた、起きたの?」

ダイニングに入ると、そこには一頭のオットセイがいました。

妻もオットセイになっていました。

何ということでしょうか?

いくらテレビの強烈な印象があったにしても、一晩にして皆オットセイになってしまうとは?

我が目を疑いました。

でもできるだけ平静を装い、

「ああ、今起きたんだよ」

「見てのとおりだから、ご飯はないわよ」

妻も自分がオットセイになっていることを自覚しているようでした。
変わり身の早い奴だ・・

「ああ、わかったよ」

「それからね、これ書いておいたから。あなたも書いてね」

見るとそれはなんと離婚届でした。
あとは私の署名、捺印の部分だけでした。

「何で?いきなり・・」

「外に出ればわかるわよ」

妻は多くを語りませんでした。

何でこんなことに・・・

そうだ会社に行かなくては・・
あわててヒレで扉を開けて、玄関から外に出ました。

「え?」

私はさらに大きく驚愕しました。

そこには海岸線が広がっていました。

そして海岸には大量のオットセイたちが打ち上げられたように群れていました。

昨日テレビで見た光景そのままです。

とにかくどこかに行かなくては・・

ヒレを使って少し前に進むと、

いきなり

「グワーッ、ガガガーッ」

大きな叫び声を上げて巨大なオットセイが襲い掛かってきました。

ドスン!

「ヒャーッ」

さらにもう一撃
ガツン!

「ギャーッ」

私は大きく吹っ飛ばされました。
体に痛みが走りました。

それでも相手は攻撃の手をまったく緩めません。

また襲い掛かってきました。

そして今度は噛み付いてきました。

ガブッ!

痛いっ

なんとかのど笛に噛み付かれるのは防ぐことができましたが肩のところに噛み付かれました。

ヒーッ

と、よく見ると。このオットセイは?

そうだ、うちの会社のいつも私をこき使っている、あの課長にそっくりでした。
なんで課長に似ているかというと、姿はオットセイですが課長がいつも使っているメガネだけはかけていました。

「手がないのにどうやってメガネをかけたんだろう?」

そんな流暢なことを考えているヒマはありません。
とにかくこの状態を回避しなくては・・

痛みをこらえながら
「か・課長、な・なんで、こんなことするんですか~~」

課長は噛み付きながら
「グワーッ、お前の嫁さんは俺がもらうぞ~~っ!」
と叫びました。

「課長、そんな無茶言わないでください。課長にはあんなきれいな奥さんがいるじゃないですか~~」

「あれも俺の嫁さん、お前の嫁さんも俺の嫁さんだ~~」

「え、え~~?」

そうだ昨日の番組の通りだ。
これはとんでもないことになった、どうしよう・・

オットセイとなった今はすでに強い男がすべての女性と結ばれる、中身まで変わってしまったのでした。

「わかりました。わかりました。考えますから、離してください」

課長のオットセイはやっと私を解放しました。

「グワーッ、離婚届、判押しとけよ~~っ!」

そういうと課長は一旦他のところへ行ってしまいました。

しかししばらくすると、向こうの方で
「グワーッ、お前の嫁さんは俺がもらうぞ~~っ!」
と大きな叫び声が聞こえました。
そしてやはり「ギャーッ、痛いッ!」
と悲鳴が聞こえました。

よく聞くとあの声は後輩のHの声でした。

他でもやってやがる、なんて奴だ。

これは大変なことになった。
毎日こんな事が続いたら身がもちません。

思案に暮れていると。

すぐ近くから

「グワオーッ、これでも食らえ~~っ!」

叫び声とともにまた別の大きなオットセイが襲い掛かってきました。

「ヒャーッ」

見るとこんどは後輩のYでした。
やはり見た目はオットセイですが、あの生意気な平ったい目は紛れもなくあいつの目です。

人間だった頃からいけ好かない奴でした。彼はいつも人の手柄を横取りするようなやつでした。

そしてオットセイになったらさらにエスカレートしているようでした。
こいつにだけは嫁を取られたくない・・

そう思い戦おうと思いましたが、相手は巨体でしかも悪い性格と勝てる要素はあまりありません。

とっさに思い切り逃げ出しました。

「グワーッ、グワーッ、グワーッ、待てえ~~っ!」

誰が待つか・・。
後から叫び声が追いかけてきましたが、なんとか振り切りました。

そんなこんなで家に帰ると疲れ果てていました。

妻は
「早く書いてね。弱い男は興味がないの」
妻は完全にオットセイに浸りきっているようでした。

☆☆☆☆☆

私はしょぼくれてテレビをつけました。
するとなぜかまた動物の生態の番組をやっていました。

こんないつもやっていたっけ・・

と思いましたが、なんとなく見入っていました。

今日の主役はカンガルーでした。
カンガルーのオスは乾燥した砂漠地帯を結婚相手をさがして毎日ひた走ります。
そしてメスを見つけると、求婚します。

でもそんな簡単にはいきません。
やはりライバルのオスがたくさんいて当然争いになります。

よくテレビなどで見かけますが、カンガルーは手足が強く、ボクシングのようなけんかをします。
これはメスをめぐってオス同士がけんかをするときの話のようです。

負けたカンガルーはさらに相手を求めて走りつけます。
乾燥、高温と厳しい中なのでやがて力尽き、死んでしまうカンガルーのオスも多いようです。
砂漠の中にオスの骨が残されている映像が映し出されました。

「どの動物も大変なんだな」

今の状態もすでに大変ですが、カンガルーにはもっとなりたくないと、思いました。

そしていつの間にか寝てしまい、朝が来ました。

「え、え~~?」

そうです。
恐れていたことがおきてしまったのです。

今度は私はカンガルーになってしまったのです。
なんてことでしょう。

もうこれから起きることが大体想像がつきました。

ダイニングに行くと
妻は離婚届をピラピラさせて
「早く書いてよ!」

事態はさらに悪化していました。

「もうほかの動物になるまでは走り続けるしかないな、どうせ外は砂漠なんだろ?」


そして玄関のドアを開けた瞬間です。

バキッ!

「ぎゃああああああっ」

メガネをかけた巨大カンガルーがいきなり強力なパンチを出してきて、それがもろに私の顔面にヒットしました。

そして課長カンガルーは言いました。
「おめえは人間だろうが、オットセイだろうが、カンガルーだろうが逃がさねえぞ、覚えとけっ!」

☆☆☆☆☆
上記の記事はサイト管理人日記「ぶらぶらうだううだ」(旧穴狙い千ちゃんの旅行記2)に2012年2月23日に掲載した記事を移設したものです。

上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2022年8月10日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)

※なお一部は現在のモラルや法律などに抵触しないように、また内容的に改修したほうがいいと判断した場合は当初の内容を一部修正しておりますのでご承知おきください。

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この曲は1982年の初頭に発売された、私たちの世代では知らない人がいないくらいの大ヒット曲「チャコの海岸物語」のB面です。ちょうど私が1浪で大学に入学して、「民話愛好会」に入部して、皆でよく校内や、合宿の旅館、学校の近所の居酒屋で、「チャコ海」と言って親しまれた曲のB面です。

もちろんレコードもすごく売れました。だからそんなに価値が出ていると思わなかったのですが、実は現在はあまり流通していないようで、それなりの値段、というか品薄になっているようでした。

ただ今はデジタルでダウンロード可能なので、だからといって聴くことができない、ということはないようです。

特にこのB面の表題の「翔~鼓動のプレゼント」は他のアルバムにはほとんど収録されていないようで、CDやレコードとして入手するのはかなり困難になっているようです。

曲は桑田圭祐の作詞・作曲なのになぜかドラムスの松田弘がボーカルみたいです。
後日同様に「バラードの名曲」で取り上げるつもりですが、同様に1982年8月に発売されたアルバム「NUDE MAN」」に収録されている「松田の子守唄」もまったく同じパターンのようです。ちなみにメンバーで松田だけは青山の学生ではなかったみたいです。

サザンのバラードといえば「いとしのエリー」「YaYa あの時代を忘れない」が超有名で、この曲もある意味、一部似ているところがある感じの曲ですが、なぜか詞はもっと私的な感じがします。

ちょうど桑田圭祐と原由子が結婚した時期と、このレコードが発売された時とも重なっています。

「チャコ海」のレコードを持っている人は誰でもご存知だと思いますが、もし聴いたことがない方がいたら、ぜひ一度聴いてみたらいいと思っています。暗い哀愁好きの私でも、大きな理由はことこまかに言えませんが、心を打つ曲だと思っています。

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実はこの曲はDAMにも入っていて、例の荻窪のスナックでもたまに歌っていました。
ママは
「他人のことだからわからないけど、でもどんな理由でも、歌もいいけど、そういうことを考えるとこの曲の逸話はもっと心を打つ話かもね・・」

「そういえば、あんたは結婚のときはどうだったの?」
「今と同じ"飲んだくれ"だったの?」

いや、今より飲んだくれだった・・

「全然進歩していないのね・・」

しかも酒に弱いのに、酒に飲まれていた・・

「みっともないわね!」

飲むたびに翌朝に何かしら迷惑をかけた同僚とかにお詫びの電話を入れていた・・

「当然よ!」

しょっちゅう二日酔いで会社では「△△は、午前中は車の運転禁止!!」って言われていた・・

「はあっ? それって最悪じゃない・・」

でも結婚前の妻にはあまりそんな本当の姿は見せなかったね・・

「しまいには、張り倒すわよ!」

そう、だから言われたよ
「先に言ってよ~」
って

「・・・」

それじゃ、この歌をまた唄おうかな・・
ママ、入れてよ

「あんたは、この曲禁止!!」

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
私が小さいころ、すでに住んでいたのは埼玉でしたが、年に何か月もあたりまえのように大阪の父の実家にいました。実家は大家族で、まだ父の妹のうち下の二人(私から見たら叔母です)は結婚前で、一緒に住んでいました。特に下から2番目の妹は私たちの面倒を見てくれて、埼玉に一緒についてきてくれたり、よく私と姉と遊んでくれました。そして実家には当時としては珍しいのでしょうか?なぜかステレオがありました。

当然埼玉の私の住む賃貸住宅には、高価なのもありましたが、置く場所もなく、その時代の他の大勢の方同様、そんなしろものはありませんでした。ですから実家にいる時はステレオが珍しく、いじり方はわかりませんでしたが、よくその叔母と一緒に音楽を聴いていました。叔母は当時の流行りの歌謡曲が好きなようでした。私がおぼえている範囲では表題の「ザ・ピーナッツ」「伊東ゆかり」「小川知子」あたりが多かったと思います。

ということで、叔母のおかげで私は子供のくせにそのころの流行りの歌謡曲を聴く機会があり、今考えれば、このようなマニアックまでになってしまったレコード収集の趣味も、そのころに下地があったのかもしれません。

特に「ザ・ピーナッツ」は完全にトップスターで、もちろん曲もよかったのですが、一卵性双生児でよく似た顔や声だけでなく、息の合った美しいハーモニーで歌い上げました。有名なのは「恋のバカンス」など当時大ヒットした数々の歌ですが、多くは私好みの哀愁のたっぷりの楽曲だったように思います。

表題の「恋のロンド」は実は当時はまったく知りませんでした。
1968年に発売されたようです。でも後述にもありますが、初めて聴いた時も「どこかで聴いたことあるな」と感じました。当時のテレビ番組か、そのステレオかはわかりませんが、知らないうちに聴いていたのかもしれません。

実は初めて聴いたのはかなり後で、平成になってからです。
その当時よく聴いていた(見ていた)、スカパーのスターデジオの懐メロみたいな歌謡曲のチャンネルがあり、何かの特集でたまたま聴きました。先程の「聴いたことあるな・・」はその時に感じたことです。

リズミカルで覚えやすく、哀愁たっぷりで、”昭和歌謡の歌姫”である「ザ・ピーナッツ」にはぴったりのメロディーでした。

それからこの曲名を調べて、さらに数あるザ・ピーナッツのベスト盤などで収録しているものをさがしました。仮にそのようなものがあっても、今度は中古レコード店に在庫があるかはわかりません。

この曲に出会う前にもザ・ピーナッツのLPレコードは買いましたが、当時はいろいろ事情があり、まだレコードを集めていなかったので売ってしまいました。さらにこの曲に出会った後も買ったり、知人にもらったりしましたが、この曲がなかったり、あっても針飛びだったりで、なかなか自分のコレクションにはなりませんでした。まだネットが今ほどは発達していなかったのですが、ご承知のように段々と整備されてきて、中古レコード店にわざわざ行かなくてもネット通販などでさがせる環境になってきました。Amazonは典型的な一例で、私もさがしまわって空振りに終わるよりは、そのほうが効率もいいので、Amazonなどでさがす機会がふえました。

結局Amazonで調べたら、シングルCDがリバイバルで発売されていたので、すぐ買いました。
わざわざシングルCDをリバイバル発売するくらいなので、かなり人気があることもわかりました。

もしこれをご覧になった方で、この曲名を聴いてもピンとこない方がいたとしても、それなりの年代の方なら、やはり「あれ、この曲聴いたことあるな」と思う方がいるかもしれないと思っています。

「ザ・ピーナッツ」らしい、リズミカルで少しラテンではありませんが異国系の香りがする哀愁たっぷりのメロディーです。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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