哀愁のメロディーや心打つ名曲さがし(レコード・CDコレクション)

哀愁漂う少し暗い感じの名曲、心に響くバラードの名曲、あの時代の情景を思い出す名曲を紹介します(すべて個人的好みを最優先)。時代、ジャンル、ヒットの有無は全く関係ないと思っています。私のレコード、CDのコレクションを中心に紹介します。

記事中の人物名・社名などは特別な事情がある場合をのぞき原則敬称略で記載しております。

個人的嗜好と感性で、哀愁のメロディーや心うつバラードや詞の曲が中心です。時代やジャンル、評判の大小を問わず、収集したレコード・CDのコレクションを中心にどんどん紹介していきます。
※所有しているものは各々その旨記載してあります。

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※本文は正確を期すために一部はネットで公開の資料等を参考にしています。また法律を順守する立場から、ジャケットや盤面の写真の無断掲載は控えさせていただきます。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
この曲は1971年に発売され、大ヒットしたのでご存知の方も多いと思います。

この歌を聴くと、なぜか小さいころに長く居た大阪の街を思い出します。
といっても、私は小さいので盛り場巡りをしたわけでもないし、夜の大通を失恋して涙して歩いたことはありません、

私が思い出すのは、阪神高速から見た「夕闇の淀川のシルエット」です。
いつ見たのかも定かではありませんが、向こうに鉄道の鉄橋が見えました。
それが国鉄のものか、阪急電車のものかもわかりません。
もしかしたら夢の中の話なのかもしれません。

ましてや小さな子供が雨が降る御堂筋を南へ歩いたことなどはあり得なく、そんなことをしたら、身内に「お前、アホとちゃうんか?」といわれてしまうようなことは目に見えています。

でもこの曲は当時の夜の大阪の景色を忠実に再現してくれる、と思っています。
実はこの曲は作詞は林春生で一般人からはそんなに有名ではありませんでしたが、作曲はあの「ダイヤモンドヘッド」などでお馴染みの世界的ミュージシャンの「ベンチャーズ」です。

もちろん曲もすばらしいですが、個人的には詞も随所にずっと記憶に残っているように、すばらしいと思っています。

「いちょう並木は 枯葉を落とし 雨の舗道は淋しく光る~」(引用)
など当時の大阪の町の情景が浮かび上がるようなすばらしい詞と曲だと思っています。

私がこのように大阪に幼児体験を持っていることを知っている、すでに閉店した荻窪のスナックのママは、私がこの曲を歌った後に、すぐ見抜いたようで、こう言いました。
「可愛い体験ね・・」

この一言はあまりにも的確に図星を突かれて、酔っていて、心底この曲にも酔っていた、私は「えっ?」と思い、
「何を言っとんのじゃ、ボケ」
とインチキ大阪弁で心の中ではそう言いましたが、実際には、あまりに核心を突かれたので、
「そうだね」
と返答しました。

するとママは、
「もう早くしないと、最終電車の時間だよ。うちで奥さんが角を2本出してお待ちかねだよ」
と言いました。

家に帰ってみると、
その通りでした・・。
「お前は、何しとんじゃ、ボケ!!」

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。


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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
表題の「たそがれラブコール」は1981年に発売された小柳ルミ子のシングル曲です。
作詞はあの阿久悠、作曲は川口真です。
情景が浮かんでくるような、詞と曲で、暗い哀愁メロディー好きな人たちは、ほぼ満足できるような名曲だと思っています。特にこの歌の詞は、あの阿久悠ですが、メロディーと完全に噛み合った素晴らしい詞だと思っています。

この曲を知ったきっかけは下記のとおりです。
以前KHKFMで平日の昼12時~13時に「ひるの歌謡曲」という番組を放送していました。
有名歌手、テーマを決めた色々な歌手の特集など1時間の間、ほぼトークや解説なしで曲だけ流していました。しかも最初からフルコーラスで曲の最初の紹介なしで流していたので、そのままカセットテープに録音して、聴いて楽しんでいました。

当時は今盛んに販売されている歌手ごとのベストCD(レコード)やオムニバスCD(レコード)は、国民的な有名な歌手以外はほとんど売られていませんでした。またインターネットもまだ普及していなくて、ダウンロードや動画サイトも存在していなかったので、歌手によってはこのような番組をエアチェックするしか方法がなく、しかもフルコーラスでステレオ放送だったのでうれしい限りでした。

ある時その番組で「小柳ルミ子」特集がありました。

小柳ルミ子といえば、「私の城下町」「瀬戸の花嫁」は大ヒットしたので皆に知られていましたが、他の曲は一部しか知りませんでした。当時他で知っていたのは、個人的な嗜好から「冬の駅」や以前ここに記載した「京のにわか雨」くらいでした。

この番組ではじめて、表題の「たそがれラブコール」を知りました。

以前書きましたが、小柳ルミ子は元タカラジェンヌで、朝ドラ「虹」でデビューした時は可愛らしく、アイドル的な要素もありました。ただ段々齢を重ね、その実力を見せ始めていました。ただ当時の愛らしさは、少し違う感じになっていったように思います。でも声は段々と研ぎ澄まされたような、不思議な歌唱力で、私を魅了しました。

でも一般人から見た彼女の印象はこの先もどんどん、変わっていったように感じています。でもその姿が彼女の本質だったのかもしれません。平成以降から近年にいたる状況や様子は、皆さんよく承知されていると思います。素人目のうえ、直接お人柄などは承知していませんが、現役を続けている芸能人であれぐらいデビュー時と、今では大きな温度差がある方も結構少ないのでは?というふうに感じています。
※もちろん悪い意味ではありません、外から見た印象が変わったという意味ですので、悪しからず・・。

そしていつも話に出てくる、すでに閉店した荻窪のスナックでもこの曲もよく歌っていました。
この曲は男性が歌っても比較的大丈夫なようでした。
ママも目をつむったり、耳や鼻に栓をすることはありませんでした。
「あなたが 此処にいたら 何もかも きらめいて見える 今では街の色も セピアにかすむ想いで~~」(引用)

でも歌った後にポツリと言いました。
「この曲はあんたに歌われると、歌詞がかわいそう・・」

ガビーン・・

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
テレサ・テンも多くの物悲しいメロディーをすばらしい歌唱力と人並み外れた美声で歌い上げた、歌手だと思っています。日本国内や母国の台湾のみならず、アジアの多くの国で愛されているようです。

いつも出てくる閉店した荻窪のスナックでも、多くのお客さんが歌っていました。
やはり哀愁系の「つぐない」「愛人」と、バラード系の「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」の大ヒット曲が圧倒的に多いと思っていました。私はこれらの中では「つぐない」が好きです。

テレサ・テンの暗い系の歌は、私のように男性もけっこう歌うというふうにも感じました。
もちろん私もその一人ですが、ママにはどういうふうに聴こえていたのでしょうか?
特に私が酔っ払っていい気分で、歌っていると・・
「声や歌はまだいいけど、いい男でない場合は、許せないのよね」
と曲が終わるまで、目をつぶっていたかもしれません。

おっと、ここは表題の曲の話でした。

表題の「ジェルソミーナの歩いた道」は曲名や、作曲者を承知していましたが、長年どういう曲か知りませんでした。1981年に発売され、作曲は以前「こおろぎ橋」で紹介した丹羽応樹(にわまさき)です。暗い哀愁系のいい曲だと思っています。詞は別の方ですが、「ジェルソミーナ」とは?など、よくわからないまま聴いていました。

ただ歌うのはけっこう難しそうで、特に男性が歌うと妙な「違和感」を感じるのでは?と思っています。そこそこは売れたようですが、地味な感じの曲なので、少なくとも私は他のお客さんがこの歌を歌うのを見たことがありません。

私もこの歌を知ってからも、店でこの歌を歌ったことはありません。
もし歌ったりしたら・・、
ママは目をつむるだけでなく、耳をふさぎ、それから必要はないのに鼻まで栓をしてしまうに違いないと思っています。
「・・・」

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
この曲はスナックに出入りしている人たちには、よくある「誰が歌っている、何という曲か知らないけど、メロディーだけはほぼおぼえている曲」です。

○○社長や△△先生、□□さんの十八番(オハコ)というやつです。

△△先生も、店で一緒になり、酒が進み、酔ってくるとまず例外なく表題の歌を歌います。
最近は店も閉店し、さらにコロナ禍になり、会う機会はなくなりましたが、今でも歌っているのでしょうか?

ですからこの曲を聴くと、本物の「江利チエミの酒場にて」より「△△先生の酒場にて」の方がしっくりくるくらいです。

でもこの曲は昭和歌謡の匂いと、曲名のように酒場の匂いなどが入り混じった不思議な魅力があります。△△先生に曲名を聞いて、ひそかに色々調べて、中古レコード店でレコードを買いました。

暗く、哀愁たっぷりで、しかもおぼえやすく、1回聴くと忘れないメロディーだと思っています。

中古レコードをコレクションしているのに、このレコードを買ったのはかなり近年です。
私としては不覚だったと思っています。

これは一般の素人国民としての印象ですが、ちなみにこの曲を歌っていた江利チエミは、高倉健(故人)の元奥さんでもあり、私のような目下の人間が言うのもなんですが、若いころは実力派なのに、可愛くてアイドル的な人気もあり、派手な芸能人というイメージだったのに、たしかご逝去されたニュースを聞いた時は、非常にさみしい亡くなり方をしたように感じました。

そのニュースがこの歌を聴くと、この物悲しいメロディーや歌詞に、さらに合わさってくるように感じ、なおさら哀愁が漂う曲に感じてしまいます。

多分スナック通いの方は、この曲を聴くと、「ああ、あの人がたまに歌っていた曲だね」と思う方がけっこういらっしゃると思います。曲名同様それくらいスナックではけっこうメジャーな哀歌かもしれません・・。

私も店で△△先生がいない時に、たまにひそかに歌うようになりました。
ママは多分「他人の十八番(おはこ)をパクッてんじゃないよ」と思っていたに違いありません。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
この曲は村下孝蔵が急病で亡くなる前年に発売したアルバム「同窓會」に収録されていたので知りました。それまでは彼の曲は大好きでしたが、この曲はこのアルバムを聴くまで知りませんでした。そして「同窓會」を買ったのも、彼の死後です。でも今は彼の曲の中では以前に記載した「絵日記」などと並ぶくらい好きで、暗い哀愁たっぷりでリズミカルな、村下孝蔵らしい曲だと思っています。

そして何よりも詞が個人的にも大好きです。
特に2番のサビ以降が好きで、
「ちっぽけなしあわせにこだわって 道に迷ってばかりいた やっと集めた光さえも 指の間もれた」(引用)
まずここが好きです。私だけでなく、そんな気持ちって皆よくある経験の方が多いと思います。

そしてきわめつけは、その後の最後の詞です。
「二人 自転車に乗り走ったね しがみついて笑った君よ」(引用)
というところです。自分的にはここはもうこの曲のクライマックスだと思っています。

ただよく考えると、もしかしたら「自転車は二人乗り?」とも思いますが・・。

なぜこの部分が一番好きかというと、
そして歌の中で自転車を走らせている場所には一切触れていないのですが・・、

東京に越してきてからの私の実家は、家から多摩川の土手が見えるようなところです。距離にして100メートルあるかないかくらいで、何かというと多摩川の河原や土手に行きました。高校3年の時は野球部だったのもあり、それまで電車とバスで通学していたのに、自転車で河原のサイクリングロードを走り、調布まで行き、そこから内陸に入り、ハケ(段丘)を2段登って通学していました。決して女性と自転車を河原沿いに一緒に走ったことなどまずなかったのですが、その情景は結構楽に想像できました。

ということで、なぜか私の中では、この曲の自転車も夕方の河原を走っている、というふうに自分の都合で置き換えられているのでした。???・・。

またこの曲を録音して最初に外で聴いたのは、家族と旅行に行った帰りの東北の新幹線の車内でした。すでに夜で景色は見えませんでしたが、疲れもあり、またちょうど警報級の大雨の中で、車内全体にも重苦しい空気が漂っていました。そしてこの時に聴いたこの曲が妙にその空気に合っていたので、よくおぼえています。だからこの曲を聴くとその時の雰囲気も思い出したりすることもあります。

この曲はおぼえやすく、リズミカルですが、少し暗い哀愁たっぷりの村下孝蔵らしい曲だと思っています。もしご存知ない方であれば、一度聴かれてみては?と思います。私と音楽の嗜好がほぼ180度近く違う、家族もこの曲については私が見ている限りでは、結構気に入っているようです。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
この曲は「踊り子・村下孝蔵」の時に記載した女性とダメになった後の話です。
この後の話もそれに類したような話で、要はダメになったような部類の話です。自分でいうのもなんですが、奥手でモテナイ人間ですが、ダメだった話に関してはかなり経験豊富かもしれません・・??。

話が戻りますが、当時もある意味私の人間が練れていないせいでダメになって、その後はもっと「お前は大丈夫か?」的な状態の生活をしていました。仕事や金銭面の問題だけではなく、女性に対しても同じように、いいかえれば「だらしない」というか、ある意味「誠意のかけらもない」を行動を繰り返していました。そのころの話です。

当時「踊り子・村下孝蔵」の時にピタリと私の行く末を言い当てた学生時代の友人とまた飲む機会がありました。場所は新宿。店は忘れましたが、その時彼は今彼の奥さんになっている彼女を連れてきて3人で飲みました。最初のうちは3人の談笑が続きよかったのですが、そのうち酔いが進むにつれて、彼と彼女が話し込むような状態になりました。その時の私は前述の通り、ひがみっぽい、ただのしょうもない男だったこともあり、周りにいる人たちに話しかけ始めました。

その時にちょうど近くのテーブルに女性が数人で飲みに来ているグループがあり、酔っているのをいいことにそこに乱入して、一緒に飲み始めてしまいました。元一緒だった友人と彼女は電車の時間の関係で帰る、と言ってきた時も、ひねくれていたというか、すねていたので「じゃあね、バイバイ」と彼等をやり過ごし、そのまま彼女たちと飲んでいました。
結局朝方くらいまで飲んで、初電車で帰宅しました。

後日その縁で、一人暮らしだった私は彼女とたまに電話で話すようになりました。
その流れでまた会う機会がありました。

私の会社の同僚たちとも飲みましたが、プライベートでまた一緒に飲もうということになり、当時はまだなじみのない荻窪で、彼女の友人と3人で会い、飲みました。彼女の友人が荻窪に住んでいたためです。ところが彼女の友人は明日予定があるとか、で途中で帰ってしまい、2人きりでその後も飲み屋に行きました。

今は詳しくなりましたが、西口の「日の出街」という飲み屋が集まる一帯です。
今はどうなっているかもわかりませんが、日の出街の中ぐらいの右側にあった、店の1階の真ん中にらせん階段のようなものがあった店です。彼女はその店は前出の友人との行きつけの店だったようで、迷いもせずに私をそこに案内しました。店員さんとも顔見知りだったようで、けっこう楽しく飲み、歌いました。

前置きが大変長くなりましたが、そこで彼女が歌った曲が表題の「DOREAMS COME TRUE(ドリームズカムトゥルー)のLAT.43°N」でした。いわゆる「ドリカム」です。その時は今ほどメジャーではなかったので、私は知らない曲でした。でも私の暗い哀愁系の好みにピッタリの曲でした。実はその時も、この後記載しますがその後数年以上も誰の曲かも知りませんでした。
でもメロディーと詞の一部は頭にこびりついて離れませんでした。

DOREAMS COME TRUEはご承知のように、北海道の出身です。そして表題の曲を直訳すると「北緯43°」ということになり、それはまさに札幌市の緯度です。多分DOREAMS COME TRUE自身の何かしらの体験などに基づいてつくられた曲ではないか?ということも簡単に想像できました。でもこのようなことを考えたのもすべてかなり後の話です。

結局荻窪で飲んだ時に彼女が歌った曲は他にもあったと思いますが、この歌とセットになったあの店の画像とメロディーだけが脳裏に焼き付きました。

この話はこれで終わりにしますが、実はこの曲はまだ続きがあります。

数年後に私が荻窪に転勤して働き始めたころ、他の歌の話でもたびたび登場するスナックに行くようになりました。というより、たまたま私の赴任の歓迎会の2次会でそのスナックに連れていかれたのですが、その時に店にいた店員の女性に例によってではありませんが、自分の名刺を渡してしまったことがきっかけになりました。

たまに店から会社に電話があり、「どうせ飲み屋さんの勧誘」だろうと軽くあしらっていましたが、どうもそんな感じではなくなってきました。そのうち私も自ら嵌ったのか、その店に通う日々が始まりました。

あいだの話は省略しますが、その時に電話をかけてきた店員さんの女性がある時、またこの歌を店のカラオケで歌ったのです。この歌を歌う人は数年間、少なくとも私の前にはいませんでした。そしてその時もまだ誰の、何という曲か知らなかったのですが、前述のようにすごく気に入って、しかも流れ的に忘れられないような曲でもあったので、また思い出してしまった、というのが本当のところです。
この店はその後経営者が変わり、私も店のHPをつくるようになった店です。経営者が変わったといっても知り合い同士の譲渡でした。ただ今はすでにその経営者も店を閉店してしまいました。
ちなみにコロナになってからは、そんな店は山ほどあるかもしれません。

もちろん私は今も普通に家族と平和に暮らしているので、以前の話と同じようにこれらの話は「ほろ苦いかどうかはわかりませんが、以前の個人的な思い出」です。

また数年後によくよく調べたら、表題の曲だということがわかりました。この曲はそのような荒んだ自分の当時の姿が浮かび上がるほど、悲しいメロディーと詞がひそかに自分の心の中を揺さぶりました。

本来DOREAMS COME TRUEの曲はこのような暗い哀愁系の曲は少なく、私は今でも他の曲はあまり詳しく知りません。でもこの曲だけは特別な1曲になっています。

今この文章を記載しながら思うことは、音楽を語るにはある程度自分のプライベートも語らないといけなくなる、ということを感じているしだいです。基本的にこのような体験は自分的には非日常で、自分の中でもめずらしい思い出です。逆にそんなことが何十年もずっと続いたら身が持ちません。
だからずっと残っているのかもしれません。

ちなみに表題の曲の正確な「読み方」をいまだに知りません。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
この曲は1972年に発売されました。
私はまだ小学校低学年なので歌詞の意味などはわかりませんでしたが、かすかにメロディーはおぼえています。さすがにこのころは「暗い哀愁のメロディー」だけを好きなわけではなかったのと、当時の昭和歌謡にはこのパターンの暗い歌は結構あり、そんなにめずらしく感じなかったのか、それほどこの曲が頭や心のどこかに住み付いて離れない、ということはなかったと思います。それくらい哀愁たっぷりですが、暗く重い曲でした。

でも大人になってから、この曲を再び聴いた時は「あれ?この曲、メロディーも歌詞いいな」と素直に感じました。作曲は浜圭介で、個人的にはこの手の曲をつくったら右に出るものはいないくらいの才能を持った「大家」だと思っています。

また作詞は千家和也でもちろん人物名は聞いたことがありますが、この人の作品は注意してみていないので、正直にいうと詳しくわかりません。ただ少なくともこの曲に関しては、大人になってからこの曲が気に入った大きな要因は、この詞です。

特に2番の「一番鳥が泣く 柱の影で 心の準備して 時間を待つわ」(引用)という部分で、その気持ちはピークになります。私が鉄道ファンだからというわけではありませんが、この詞とメロディーを合せて聴くと、その情景が浮かび上がってきます。

三善英史は近年「バイセクシャル」であることを自分でカミングアウトしたようです。当時もこの曲と詞を歌い上げる、端正でイケ面なのに、少し女性的な暗い感じで、ソフトな声とすべてがマッチしているように感じていました。そしてこの前述のカミングアウトにも「やはり・・」と納得してしまいました。

私的には多分この曲が彼の中では断トツの一番の曲だと思っています。

この歌も、以前の文章で何回か登場した以前私の行きつけで、HPまでつくっていた荻窪のスナックでも閉店してママが皿洗いなどをしている時に頻繁に歌っていました。

たぶんママは疲れている時間帯なので「こんなタイミングで、そんな暗い歌、やめてよ・・」と思っていたに違いありません。「心に漬物石が乗るくらい・・」それくらいヘビーな曲だと思っています。

舞い上がってしまい、少し頭を冷やした方がいいような人がたまにいますが、そういう人に聴いてもらうとちょうどいいくらいかもしれません・・。

そして暗い曲好きの人には、「舟唄」と並ぶくらい酒をちびりちびりと飲みながら聴くと、絶品です。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
この話は相当以前の話です。
めったにないことですが、私が柄にもなく下記のようなことで色々思い悩んだことがありました。

今から”うん十年前”まだ私が20代後半だったころ、前述のようにガラにもなく恋愛のことで悩んでいました。
自分の家庭の事情、あとは詳しくは言えませんが様々な事情があり、かれこれ4年くらいお付き合いをしている女性と一緒になれず暗礁に乗り上げ、悶々としていました。もちろん当時もうすうす感じていて、今はほぼ確信がありますが、要はこのことは状況のせいだけではなく、私の人間としての実力が足りなかった、または人から信頼を得るに足りなかったせいなのだ、とも思いました。というよりその部分のほうがはるかに大きかったのかもしれないと思っています。

そんな時に学生時代の友人とちょうど一杯飲む機会がありました。
私のアパートの近くの国分寺の当時の私の行きつけのカラオケスナックで飲みました。
あまり混んでいる店でもないし、ママとも顔見知りだったので、カラオケは結構歌いたいだけ歌えるような店でした。

そこで飲みながら「泣き」をいれている私の話を聞いていた、友人が「今のお前にぴったりの歌を歌ってやるよ」と言って歌ったのが、表題の村下孝蔵の「踊り子」とテレサテンの「別れの予感」でした。

自分でいうのもなんですが、この2曲を聴きながら、まさに私にぴったりの曲と思いました。
この2曲は私の今の状況を見て作ったのか?または私がこの2曲の内容を実践するためにこのような状況に嵌ったのか?と感じるほど的確でした。彼もちょっと話を聞いたぐらいで、よくここまでわかったな?と彼の洞察力にも驚いたぐらいです。

特に表題の「踊り子」の「つまさきで立ったまま 君を愛してきた」「表紙のとれてる愛だから かくしあい ボロボロの台詞だけ 語り合う日々が続き」(ともに引用)という歌詞の部分は身にしみるような歌詞でした。

村下孝蔵は当時はまだそんな嵌っていなくて、デビュー曲の「ゆうこ」や「初恋」など一般的なヒット曲しか知らず、「踊り子」も発売されてすぐのころだったと思うので、実はこの曲は知りませんでした。

ご想像通り、と思いますが、しばらくしてやはり駄目になりました。
あの2曲のとおりになり、彼の予言はぴったりと当たりました。

このころの経験が今がどう関係しているのかはまったくわかりません。
それからもある意味自分らしく?生きて、なぜかちゃんと家族もできました。
今は良くも悪くも過去の集積の結果です。

今でもこの「踊り子」を聴くと、後悔の念というか、少なくとも成功談ではないので、少し胸の奥に「キーン」と突かれたような痛みが走ります。

私事で恐縮ですが、少しというか、かなり「ほろ苦い」思い出の話でした。

でも今でもこの曲は哀愁たっぷりで大好きな曲のひとつです。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
今回は「超有名」な中島みゆきの「時代」です。
この曲を初めて聴いたのは1976年くらいだと思います。
当時中学生だった私はその時の流行りでラジオをよく聴いていました。
それが段々とエスカレートして、翌日学校があるのに、深夜放送を聴くようになりました。

よく聴いていたのは谷村新司のセイヤング(文化放送)、笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(ニッポン放送)、そして野沢那智と白石冬美、また愛川欣也のパックインミュージック(TBS)でした。

ただオールナイトニッポン以外は午前3時で終了するので、その後も起きていると自然にその後の番組も聴くようになります。
そのうち午前3時からの番組を目当てに起きていることも度々ありました。そして大体の番組がそうでしたが、曜日担当になっていたので、午前3時までにお目当てのパーソナリティー(現在のMC)がいなくても、起きてその番組を聴くようになりました。
それが「歌うヘッドライト」(TBS他)でした。

特に金曜日深夜(土曜日早朝)の江川範子と木曜日深夜の石渡のり子の日は特別なことがない限り、毎週聴くようになりました。もちろんふとんの中で聴いていました。江川範子は始まる時にいつも「ノンノンこと江川範子です~」と最初に一声ありました。

そこで流れたのが、その時初めて知った歌手の中島みゆきでした。
曲は「時代」。当然初めて聴きましたし、当時は歌謡曲の最盛期でいわゆるテレビでガンガン流れている曲ではありませんでした。しかしおぼえやすい、いい曲でした。そして詞にも当時中学生だった私も心が動かされるような詞でした。多分ご本人はすでに大人なので、恋愛や大人の人間模様の中の詞なのでしょうが、当時中学生だった私たちにも通じる「何か」があったのだと思います。

当時は私はまだ知りませんでしたが、この曲は多くの方がご承知と思いますが、発表当時はポプコンや世界歌謡祭でグランプリを取るなど大きな反響があったようです。また今にいたるまで、数え切れないくらいのミュージシャンがカバーしている「超名曲」と思っています。

私は中学、高校までは別に公私に大きな問題などをかかえてはいませんでした。いわゆる平々凡々というタイプでした。

でも今でも最初に布団の中でこの曲を聴いた時の記憶は、今でも感覚的におぼえています。おぼえやすい歌なのに、思いっ切りセンセーショナルな刺激がありました。

「めぐるめぐるよ時代は巡る、別れと出会いを繰り返し、今日は倒れた旅人たちも、生れ変わって歩きだすよ」「まわるまわるよ時代は回る、別れと出会いを繰り返し、今日は倒れた旅人たちも、生れ変わって歩きだすよ」(ともに引用)など、曲全体のメロディーと詞は心を支えてくれるくらい心強いものでした。

そして実はこの曲のすごさというか、本当に世話になったと実感したのは、実社会に出てからでした。
証券マンとして就職するとすぐバブルが崩壊し暗黒の日々が続き、また脱サラして歩合のセールスマンをして、さらに今のように自営の活動をしていると、この曲に救われる時が多々ありました。

今も、世界的な状況や自分の置かれている状況を考えても、まったく事態は変わっていない、どころかさらに悪化しているかもしれません。

この曲にはまだ救われることがあるかもしれません・・。
というか一種のバイブルになっているのかもしれません。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
今回は現在進行形の曲です。

世間ではサスペンス系以外などではドラマの最高峰といわれている?、TBSの日曜ドラマで今放送中の「マイファミリー」の主題歌です。もう何年になるかはわかりませんが(多分20年レベルだと思います)が、家族がいつもこのドラマを毎週観ていて、その流れでこの曲を知りました。

私はサスペンス以外のテレビドラマはそんなに腰を入れて観ないのですが、どうしても狭い家で、テレビが1台なので、少しは観ていることもあります。よく観ていないので内容についての言及は避けますが、ご承知の方は多いと思いますが、主演は元・嵐の二宮和也です。今まで他の映画の一部などで彼の俳優としての姿をみてきましたが、その存在感と、表現力、また彼の持つ不思議な魅力は、素人の私でもわかるくらい、すごいのでは?と感じていました。

第1回の放送を観ていたら、ドラマの最後に表題の曲が流れました。
「えっ?この曲いいじゃん!」
というのが、最初に感じた感想です。

私の好きな暗い哀愁系の曲ではないのですが、おぼえやすいメロディーのバラードで、心を打つメロディーでした。

よくこのような曲が出ると、過去のメロディーと比べたり、色々と揶揄されるケースもありますが、よほど極端でない限り、人間は生まれてから、聴いた音楽などで記憶が支配され、どんなにオリジナルのメロディーを作っても、それは過去の記憶の集積が関係していてる、と私は個人的に思っているので、そのような部分はそれほど気にしていません。

そしてこの曲はダウンロードなどでは購入可能なようですが、まだCDは発売されていません。
どうも来月に発売されるようです。

ついでと言ってはなんですが、この「それを愛と呼ぶなら」を歌っている「Uru」の過去の曲を調べてみました。そうすると、ここ数年の間、かなり有名になったドラマや映画の主題歌をたくさんつくっていることもわかりました。

ただ私の個人的な曲の好みは「暗い哀愁系」の曲であり、この曲以外には正直そんなに心は動きませんでした。

逆にいえば、そんな音楽的嗜好の私のような人間でも表題の曲はバラードの名曲として、掲載したいと思うほどの曲でした。CDが発売されたらぜひとも購入したいと思っています。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
上記のLPの名称は確認ししだい、修正するつもりです。
表題の歌は、ちょうど音楽の端境期の象徴的な曲だと思っています。

まず私は音楽評論家でも、音楽史の専門家でもないので、一般の音楽ファンとしての時代の印象を記載したにすぎなく、下記の文章も大きな根拠もなく、ご本人から確認してものでもなく、大雑把な個人的な主観にすぎないことをご承知おきください。

昭和40年代前半は日本でもフォークソングや反戦歌が大流行しました。多分そのおおもとを築いたのが「ボブ・ディラン」ではないかと感じています。ただ私が小さいころの話で、実感としてはほとんどありませんでした。

ところが、段々とある意味、音楽性を追求する流れの中で、私のような暗い哀愁を音楽に求める人たちの期待にこたえる集団ができたのではないか?と想像しています。その文化の起源的なアーティストが「サイモン&ガーファンクル」と想像しています。

日本でも昭和40年代後半には「かぐや姫」「ガロ」「グレープ」などがヒットチャートを賑わし、コアなファン以外の国民全体を巻き込むようなアーティストたちの活躍が目立つようになりました。これがその後の主流になったいわゆる自分で作詞・作曲をして自由に音楽を制作して、段々と独特の自分の世界を演出した「シンガーソングライター」が中心になった「ニューミュージック」のはしりではないか?と思っています。

そしてその流行がピーク的な状態になった1974年~1977年には、日本でも前述のように暗い哀愁のメロディーを中心にした音楽作りをする小さなグループが無数に存在し始めた、と認識しています。

たとえば「グレープ」はさだまさしがソロで独立して今では国民的にも超有名になり、「かぐや姫」は同じようにそれぞれの個性で音楽作りの続けた「南こうせつ」(事実上のリーダー?)「風」(伊勢正三)「山田パンダ」に分かれました。他にも「クラフト」(楽曲はさだまさしが一部提供)「とんぼちゃん」「伝書鳩」などなど~という感じ、暗い哀愁のメロディー好きな私でも食傷気味になるくらい溢れ返ったという印象です。

そして、そのころ新たに松山千春や中島みゆきも出てきて、彼等も当時は今のような洗練された曲中心ではなく、最初はもっとシンプルな暗い哀愁ソングばかりでした。

これらの曲はまた順に触れていきたいと思っています。

大変前置きが長くなりましたが、そのころにやはり出てきて、当時はまだもっとシンプルな明るくても、暗くてもいずれにしても繊細な若者の心の機微のようなものを歌っていたように感じたグループが「アリス」でした。アリスを知ったのはラジオ番組のセイヤング(文化放送)とほぼ同時期に当時関西では若者の多くが聴いていた?「ヤングタウン」(MBS)で、いずれも谷村新司が出演していました。

特に曲作りでは谷村新司も堀内孝雄もそれぞれ独特の世界の暗い、哀愁たっぷりのメロディーをたくさん作ったようにおぼえています。そんな中で、彼等が初期のころにシングルとして発売した曲が表題の「二十歳の頃」(1974年)です。実はこの曲は詳細な経緯はまったくわかりませんがアリスのメンバーにより作られた曲ではありません。この曲を知ったのは中学3年の時で、すでに「遠くで汽笛を聞きながら」や「冬の稲妻」がヒットした後でした。ベストのミュージックテープを買った時に収録されていました。そこにはアリス初期のころに発売されたシングル盤も何曲か入っていて、その中の1曲でした。前述のようにこの「二十歳の頃」と「青春時代」(1973年)という曲は、なかにし礼が作詞、都倉俊一作曲です。でも曲はちゃんと歌謡曲ではなく、若者向けの仕様になっていると感じました。ただすでに当時のカセットでも作詞者、作曲者にこのような名前が記載してあったので、少々驚きました。

でもよく考えてみたら、皆同じ時代をクリエイターとして生きて、年代は一回りくらいちがっても、似たような経過や経路で世の中に出てきたことを考えれば、理解しあえるような関係は簡単に築けたかもしれないと思っています。特に近年当時まだ健在だったなかにし礼の「偉人伝」をテレビで観た時に何となくそれが伝わってきました。シャンソン風のエキゾチックなメロディーにぴったりの詞になっている曲です。おぼえやすいメロディーで、その情景がすぐ浮かび上がるような曲です。

この「二十歳の頃」の中では「二人でかりた小さなアパート 本の他に何一つ 部屋にはなかったね」(引用)という詞とメロディーが妙にマッチして、当時からすごく印象に残りました。

今は大手検索サイトでも、「アーティスト名」「曲名」を入力して検索すると、試聴サイトなどが簡単に上位に出てくるようです。またAmazonで調べれば当該曲をダウンロードしたり、収録CDなどを簡単に購入できます。そして表題の曲を聴く機会があれば、この「私の長いごたく」を読むより、一瞬でその全容が理解できると思います。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
表題の曲は1972年に発売された小柳ルミ子のシングルレコードです。

私が彼女を最初に知ったのはNHKの朝ドラの「虹」で、1970年で小学2年生でした。
「虹」がどういう話のドラマだったかは正直忘れましたが、小柳ルミ子のことだけが印象に残りました。今がどうか?、とかそういうことは別にして、当時はまだ10代のようで、小学生低学年の私が見ても「わっ、可愛い女の子だ」と思ったのをおぼえています。

当時は彼女がタカラジェンヌだっとことはまったく知りませんでした。

そしてほどなく、歌手としても、あの有名な「私の城下町」でデビューして、大ヒットして国民的な曲になりました。よく、職人や運転手さんが「格子戸を~、くんぐりぬけ~」(引用)とテレビドラマなどでも鼻歌交じりに口ずさんだ姿をみかけたのをおぼえています。それくらい浸透するような曲でした。服装もたしか和服というか、浴衣みたいな着物姿的ないでたちで歌っていたように記憶しています。

そしてデビューしてしばらくは前述のように和風な歌に、和装のような感じの路線だったように記憶しています。でもその翌年くらいにいきなり明るい歌で、これも「私の城下町」同様国民的ヒットをして、歌謡大賞まで受賞した「瀬戸の花嫁」が大ヒットしたのをおぼえています。「瀬戸の花嫁」は覚えやすく、私たち子供も語尾を食べ物のワンタン、天丼、味噌ラーメンにする、など変え歌にするのが流行り、子供にもそのメロディーは浸透していました。

そして調べてみたら、表題の「京のにわか雨」はその直後に発売されたようです。

今度は一転、暗いけれど以前とは少し違う、しっとりした、京都の古い街並みの情景が浮かび上がるような曲でした。

もちろん「雨だれが一粒頬に~、見上げればお寺の屋根が~」(引用)の入りから、哀愁たっぷりなのですが、それに和風のしっとりとした情景も加わった不思議なメロディーです。

小柳ルミ子の曲は好きな曲が多いので、また紹介する機会もあると思いますが、この曲は個人的な子供のころの記憶の片隅や情景を紐解いてくれる数少ない曲のひとつです。

ちょうど私は小さい頃は、家の関係や事情もあり、埼玉にいる時以外は、大阪にいる、みたいな生活をしていました。もちろんもう学校に行っていたので学校のある時期は埼玉で、このころには期間的には圧倒的に埼玉の方が長くはなりましたが、それでも年間に通算3か月くらいは大阪にいました。というのも当時大阪の父方の祖母の体調が悪く、結構長期で入院することもあったからです。

そして「京のにわか雨」を聴くと、この歌を聴いた時に浮かぶ「雨でしっとり濡れた京都の古い街並みの情景」は私の中で「船板塀やため池、木造住宅や竹やぶ」など当時はまだ古い情緒が残る父の実家の周りの風景に置き換わって思い出します。

逆に考えれば、よくこれだけ当時の京都の古い街並みが雨でしっとりしている様子を、的確な詞と曲で、歌にしたな、と感心しています。

でも近年はコロナだけでなく、個人的な事情もあり、関西にはもうかなりの期間行っていません。
今はどうなっているのでしょうか?

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
知る人ぞ知る竹内まりやの名曲、というかカラオケスナックでも竹内まりやの暗い系の歌が好きな人に人気で、少なくとも私が行きつけというか、HPを作っていた荻窪の店(閉店)でもよく歌われていました。私が勝手に命名した「カラオケ暗い歌愛好会??」の面々??にはけっこう有名な曲です。

この曲は1986年に発売されドラマの主題歌になった「恋の嵐」のB面ですが、他に収録されているアルバムなどがほとんどなく、私の知る範囲では近年発売したベストアルバム「Turntable」に収録されているくらいしか把握していません。

哀愁たっぷりの美しく、しかもおぼえやすいメロディーで、特に「愛されてるだけでは 幸せになれないのね」(引用)という詞が、2番では「愛しているだけでは 幸せになれないのね」(引用)というところは特に頭の中に歌詞として残っています。

この曲はたぶん夜の高速や幹線道路のように延々とカクテル光線が続くようなところを運転するときに聴くといいのでは?と思っています。たぶんと書いたのは、この曲の発売は1986年ですが、私がこの曲を録音して聴くようになったころはかなり後で、すでに車を処分した後で、理由もなく夜の道を運転する機会はほとんどなくなっていました。また夜行列車のベッドと反対側の廊下の窓辺で酒をちびちび飲みながら、とか夜の新幹線で曲名のように夜景を見ながら聴くとかなり曲に酔えるかもしれないと思います。

いずれにしてももし、まだご存知ない方がいらっしゃったら、一度聴いてみてはいかかでしょうか?
たとえばヒット曲として有名になっている「駅」や「告白」などにまったく劣らない曲だと思っています。

またこの曲と同じようなパターンで他にも「ノスタルジア」という暗い曲があり、これも当たりまえですが「知っている人は知っている名曲」だと思っています。後日機会がありましたら紹介したいと思います。


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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
実はこのCDは、2013年3~5月かけて自分の父親が入院して、車で家族と毎日のように病院へ通う途中に、車のCDプレイヤーで繰り返し何十回くらい?聴いたCDです。他にもCDを用意したのですが、なぜかこのCDをずっと毎日のように聴き続けました。当時は春でしたが、暑い日が多く、車におきっぱなしだったので、当初買ったCDはこわれてしまい、近年またあらためて買い直しました。

車は2010年2月に以前から私の知り合いの車屋さんで姉の名義で中古で買いました。買う時に私が車屋の社長に頼んでMDとCDプレイヤーを設置してもらいました。

車が納車になった時は父はまだ、身体しょうがい(1989年に脳の病気の関係で右半身麻痺と失語症になりました)はありましたが、他は健康でした。その時は車を見て喜んでいたのをおぼえています。
ところが数日後に転んで、くも膜下出血を併発して入院しました。そしてさらに症状がひどくなりました。
その時もその車で家族を乗せて、毎日のように病院に通いました。

さて時系列に追っていきますが、その後3年後の、東日本大震災から2年後の2013年3月11日に、私が用事で能登半島の志賀町の巌門というところで、家がドライブインを営む親戚と会っていた時に、母から急に電話があり「父が誤嚥性肺炎で、急に入院したのですぐ帰ってきてほしい」と連絡が入りました。場所が場所なので、その日のうちには東京に帰れないので、まずは車で金沢まで送ってもらいました。

ちょうど一緒だった親戚は地元で救急隊員も兼務していた人で「それは大変だ。厄介な病気になったね」と言いました。一度なると、治っても繰り返しなって、段々と弱っていくような厄介な病気だそうです。いわゆる肺炎の予防注射も肺炎球菌ではないので効かないとのことでした。

まずは翌日に東京に戻り、姉の車で、家族を乗せて病院通いがまた始まりました。
その時に車のプレイヤーでいつも聴いていたのがこのCDです。
そして特に表題の曲はすごく印象に残っています。
本当は他の曲も連続しておぼえて、セットになって印象に残っているのですが、私の個人的な音楽的嗜好もあり、あえてこの曲を記載しました。

姉は警戒心が強く、車は普段はあまり自分では運転せず、私が運転することが多かったのですが、この車を買ってから以降、フル稼働したのは2度とも父の病院通いになってしまいました。

私は1989年に父が倒れて神奈川県に長期的に入院していた時はまだ中古のマークⅡに乗っていました。家族の病院通いや父の一時帰宅のときなど毎週のように車を運転していました。当時はまだ営業のサラリーマンで、仕事でも毎日営業車を運転していたので、あまり苦にはなりませんでした。でも経済的理由や車庫の問題もあり、約1年少し後に父が神奈川の病院を退院して以降は車は処分して、それ以後は車は持っていませんでした。

表題の曲は「哀愁のメロディー」にしました。たしかにメロディーは哀愁系ですが、決して暗い感じの曲ではなく、リズミカルで情熱的なメロディーです。ただこのような状況で聴いていたので、個人的には本来この曲が持っているだろう、と思うような、内容とは別の印象で強烈におぼえています。この曲は本当はアニメ「NARUTOーナルトー疾風伝」の主題歌だそうです。(参考:この記事のためにネットで調べました)

父は一回は4月中旬に退院できるようなくらいまで回復しましたが、再度悪化して、結局5月10日に他界しました。

この曲だけでなくこのCDを連続で聴くと、当時武蔵野から出発して、府中で家族を乗せて、鎌倉街道経由で町田方面へ左折せずに直進して、多摩センターへ向かう道路に行き、そこから東京国際カントリーの横を抜けて行った、車中の重い空気と見慣れた車窓を思い出します。普段はわりと近所で通り慣れた道で、景色み見慣れたものだったのですが・・。

「いきものがかり」は元はといえばNHKの「みんなのうた」でたまたま「YELL」を聴いたときに初めて曲を知りました。そしてすぐにそのCDを買いました。それまでは名前は聞いたことがありましたが、それだけでした。でも実際に聴いたら、音大出(後で知りました・・)の女性ボーカルが美声で淡々と歌う、その歌唱力に魅せられました。

今は結構気に入って数あるアーティストの中でもたくさんCDを持っている部類になります。

でもこのCD以外は純粋に音楽として楽しんで聴いていますが、表題の曲を中心にこのCDだけはまったく違う印象で聴いてしまいます。

そういえばもうすぐ父の命日の5月10日でした。
急にこんな記事を書いたのも、そのせいかもしれません。

長々と私事で失礼しました。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
1983年に高校時代の友人と2人で北海道に行きました。
その時はあまり金もなく、当時国鉄から発売されていたワイド周遊券というきっぷを使いました。
往き帰りや、現地でも当時はどこでも頻繁に走っていた急行列車の自由席は乗り放題で、道内の国鉄はフリーパスでたしか2週間以上の有効期間でした。

たよりは北海道の大学に進学して札幌に住んでいた別の友人の下宿でした。
旅行は歌ではありませんが、「上野発の夜行列車」である「急行十和田1号」に乗車して連絡船で函館に渡り、道内の夜行列車、大きな駅の待合室、前出の友人の下宿などを泊まり歩いて、やっと帰路につくために再度函館駅に到着しました。その約2週間のあいだは1度も宿泊施設には泊まりませんでした。この旅行の内容は、読みたい方がいるかどうかは不明ですが、後日別サイトに記載するつもりです。

さて函館に着いたときは残金もあまりありませんでした。
おまけに悪いことにその時日本に台風が襲来していました。まだおもに西日本が中心の被害でしたが、台風はスピードを上げて北上中で、これから青函連絡船に乗船しようとする、私たちを含む多くの観光客は、函館駅で足止めされていました。
駅のアナウンスによると、この先はほとんどの連絡船の便は運航を見合わせるということで、多くの旅行者たちが待合室で困り果てていました。

前置きが大変長くなりましたが、その時まだ当時は古い駅舎で、木の匂いのする連絡船の待合室の大きなモニターテレビで、この年に公開される予定で、地元の観光とタイアップするのか、新作映画「居酒屋兆冶」のPR映像がずっとリピートで放映されていました。そしてその映像では主題歌で表題の「時代おくれの酒場」が延々と流れていました。PR映像では歌っていたのは作詞・作曲者で本来この歌を歌っている加藤登紀子でした。

話は変わりますが、私は以前学校の図書室で昭和になって起こった最大級の被害があった海難事故「洞爺丸台風」の本を読んだことがありました。その時も襲来していた台風は西日本付近にいて、まだ大丈夫だろうということで出港した青函連絡船「洞爺丸」は、その時に偏西風の影響で急にスピードを上げて時速100キロくらいになった台風は想定されたよりはるかに早く北日本に接近しました。そして「洞爺丸」は遭難して多くの客や乗員が亡くなりました。この事故では洞爺丸だけでなく、その時出港した複数の船が被害に合い、千人以上の方が亡くなったそうです。

その本の記憶を思い出し、「金もないので運航してもらい早く東京に帰りたい」という気持ちと、逆に「台風が過ぎるまで運航を止めてほしい」という2つの気持ちが交錯していました。そしてどちらにしても困ったことになると思っていました。

そんな中で、古い待合室の中で延々と流れる「時代おくれの酒場」の曲が聴こえていました。映画は主演が高倉健の、少し暗い映像の函館の小さな居酒屋の人間模様の話のようでした。
1回曲が終わっても、すぐまた最初の管楽器系のイントロが流れ、そして「この街には不似合な、時代おくれのこの酒場に~」(引用)の繰り返しでした。任侠映画から、このような人間ドラマの映画に出演するようになった主演の高倉健にはぴったりの映像と曲でした。台風と船の運航の問題がなかったら、こんなふうには感じなかったかもしれません。

また話が飛びますが、近年この映画はテレビで放映され、初めて実際の内容を観ましたが、映画の中ではこの歌は、主演の高倉健(故人)が歌っていました。また共演で、細かい事情は忘れましたが、暗く幸薄い女性の役を演じた大原麗子(故人)は大変印象に残りました。

そうこうしているうちに結局連絡船は、夜の12時過ぎに臨時便を1便だけ出し、その後の欠航が決まりました。迷いましたが、友人はそれほど心配していなくて、二人で相談して乗船できるのであれば、乗ってしまおうということになりました。当時の青函連絡船は大きな船で、待合室にはかなりの人がいましたが、乗船することができました。

私は正直怖いので、海の見えないカーペットの部屋にかばんを置いて枕にして、横になりました。
出航して外海に出ると、船は大きく上下に揺れ始めました。多分1メートル以上の上下差だったと記憶しています。
「どうしよう。もう後戻りはできない、大丈夫かな~」
と恐怖におびえていました。でも毎日のハードな旅行で疲れていたのか、いつのまにか眠ってしまいました。

そして何時間経ったか、寝ていたのでわかりませんが、はっ、と目が覚めました。
すると船はもう揺れていませんでした。
そうです。すでに連絡船は無事に青森港内の穏やかな湾内に入っていました。
「あー、よかった。とにかくよかった」
他に感想はありませんでした。

長々と書きましたが、この「時代おくれの酒場」を聴くと、当時の古い函館駅の待合室と、自分だけかもしれませんが、あの恐怖の体験を鮮明に思い出します。

※ここに記載している記事は基本的にはオリジナルの内容ですが、記事の正確さを目指しているので年次など確定事実については一部は公開情報を参考にしていますことをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
今でもNHKBS3チャンネルでたまに再放送していますが、以前NHKBS放送が制作していた「地球に好奇心」というドキュメンタリー番組のおもにエンディングテーマ曲です。もしかしたら放送を観たことがある人は、多分ご存知の曲だと思います。今でも色々な過去ドキュメンタリー番組を
この曲が使用されていたのは、番組が放送されていた期間のうち、1998年~2001年の間だけだったそうです。ですから同じ番組でもこの期間以外に放送された番組では、この曲は流れていません。

私も何度か聴いて「この曲は?、誰が歌っている、何という曲なんだろう?」と思っていました。
歌い手は声が高く澄んでいてすごくいい声でした。また曲調も若者的な感じで、「歌のうまいアイドル?」「それにしてもいい声だな」などと感じていましたが、妙に印象に残る不思議な曲でした。

歌っていたのは、何と、元タカラジェンヌの「真織由季」で、この曲では「maori」と名乗っていました。曲名は「Moon Light Dance」という曲だそうです。また作曲したのはNHKニュース7のジングルなどを作曲した杉本竜一です。

また内容は様々ですが、原則は海外ドキュメンタリーというこの番組の内容と不思議に合う感じの曲でした。国内ドキュメンタリーでたまに観る、「情緒的な感情に深く訴える」的な内容より、むしろ「世界に羽ばたき夢を追う」ような内容が多く感じられ、その映像にマッチしていたのではないかと思っています。ある意味この曲はこれらの番組映像とセットになっている印象です。(そもそも制作側の当初の目的がそれを目指していたのかもしれませんが・・)

私は以前のサラリーマン時代はあり得ませんでしたが、仕事や活動の関係で自分で作業をする時間が増えました。また客先にアポが入っても医療関係など相手の都合もあり、午前中は家で他の用事をじていることも多くなりました。その時にBGMにはちょうどいいのもあり、この番組はたまに観ることがありました。ですから実は内容はほとんど観ていませんでした。そして近年は特にコロナが流行して、家で作業をする時間がさらに増え、この番組がついていることが増えました。ただ番組はこの番組ばかり放送しているわけではなく、リクエストの多い過去のドキュメンタリー番組の再放送の枠なので、頻繁にこの曲の出会うことはありませんでした。

そして今度はこの曲を収録したCDがないか、調べ始めましたが、シングル盤はすでに廃盤のようで、希少なものになっているようでした。またNHKの番組挿入曲などを収録した、オムニバス的なCDにもこの曲は入っていないようでした。

ただ一時期シングルCDがAmazonのマーケットプレミアムで出品があったようですが、きわめて高価で、1万円以上の価格だったのをおぼえています。さすがに私はプレミアムのためにコレクションをしているのではなく、自分の好きな曲や歌のコレクションをしているので、この値段のものには手が出ませんでした。つまり中古レコード屋の店頭のワゴンにのっている1枚100円程度のレコードでも、自分の好きな曲を見つけた方が「ラッキー」と思いました。私も人間ですから持っているレコードやCDの価値が上がれば素直にうれしいですが、価値があがるから買ったり、高額なものを無理して買って集めることにはあまり興味はありません。

ということで、この曲のCDは持っていません。
今回の記事で初めてですが、家で放送されている番組を録画して、たまに再生して、早送りを使って内容は端折って、この曲の部分だけ聴いて楽しんでいます。

リズミカルで決して暗い曲ではありませんが、エキゾチックなメロディーで、特に映像を観ながら聴くと、けっこうぴったりしていて、哀愁まであるかどうかはわかりませんが、哀愁のメロディー好きな私でも少なくとも聴いていて退屈な気分になることはありません。どちらかというと「哀愁系」かな?と思うので表題のように勝手にジャンル分けしました。

テレビの再放送など、機会があれば、一度聴かれてみてはいかがでしょうか?

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
岸田智史といえば、私は観ていませんでしたが「新八先生」、そしてこれはたまに観ていましたが「渡る世間は鬼ばかり」というイメージで、近年は俳優として知られているようです。
さらに最近たまにサスペンスの再放送でやっている番組で、たしか三浦友和が刑事役で主演の「森村誠一シリーズ」の「音」で三浦友和の友人の医者役で出演していたのも、この岸田智史だったみたいです。レギュラーでもありませんし、短時間しか出演していませんでしたが、印象に残っています。

でも当初はシンガーソングライターとしてデビューした歌手、というかポップスシンガーです。
そして歌手として、さらにテレビでお馴染みになる地位を確立したのが、当時国民的な大ヒットといっても過言ではないくらい、皆に「モーニング、モーニング、きみの朝だよ、モーニング、モーニング、きみの朝だよ」(引用)というフレーズで、超有名にになった「きみの朝」です。
そしてこの曲は内容はともかく、曲調は「超明るい」曲です。

でもデビュー当時は「暗い歌」オンパレードという印象です。
顔もどちらかというと、細面のやさしそうなイケ面タイプで、繊細なイメージがあり、ソフトで美しい声で、哀愁たっぷりの美しいメロディーを歌い上げました。

今ではその代表曲が1977年に発売された「部屋」だと思っています。
今では、と付けたのは、この曲を知ったのは、ずいぶん後になってからでした。

この曲は究極の哀愁たっぷりの暗い曲だと思っています。
それこそ、すきま風が入る寒い薄暗い部屋で、酒をちびちび飲みながら聴くと、どうにかなってしまいたいような衝動にかられるような曲だと思っています。いわゆる「知る人ぞ知る暗い曲の名曲」だと思っています。

でも繰り返しますが、この曲の存在は当時は知りませんでした。
中古レコード屋さんでデビュー曲「蒼い旅」(これは知っていました)を買った時に一緒に買ったのではないか、という記憶です。このように個人的な好みの曲を歌う歌手のレコードを買う時に、もし同時に知らない曲のレコードやCDがあった時は、一緒に買うと、その中でまた気に入った曲が見つかることがよくあります。松山千春や村下孝蔵、中島みゆきなどがその典型です。

表題の「部屋」は、歌い出しの
「いつもならこんなに優しいはずはない~」(引用)のところで、すでに心がきゅっとなるような快感が走りました。
これは個人的には「掘り出し物」だ、と感じました。その後の部分も私の期待を裏切らない、切なく淋しく美しいメロディーが続き、それは曲の終わりまで変わりませんでした。

1976年当初「蒼い旅」でデビューした時にすでに個人的にはかなり好みの暗い哀愁のメロディーで注目していました。これも調べていて知ったのですが、「蒼い旅」は作曲は岸田智史本人ですが、作詞はアリスの谷村新司みたいです。またデビュー当時はアリスのコンサートなどに同行して歌っていたようです。

この物悲しいメロディーは1974年以降くらいに出てきた、ジーパンで長髪のシンガーソングライター、例えば「かぐや姫(南こうせつ、伊勢正三)」「NSP」「グレープ(さだまさし)→クラフト」などに代表される「暗い四畳半の弾き語り的ソング(自分で命名)」路線がそのまま引き継がれた、と感じました。その前の昭和40年代前半の反戦歌やフォークソングの後に出てきた大きな波だと思っています。

あの時代はもう私も小学生高学年になっていたのでおぼえていますが、オイルショックなど波乱はありましたが、ちょうど万博後に日本の世界での地位が大きく向上した時期と重なったように思えました。一般論ですが、暗い時代に流行る歌は明るく、逆に躍進している時期には意外ですが、暗い歌が流行る、と言われています。多分人は置かれている現実と逆のものを求めるような本能があるのかもしれない、と思っています。そして、そのまさに象徴的な時代だった、と思っています。

暗いセンチな曲があまり好みでない方も、今はネットで試聴したりする設備がある可能性があるので、一部でもいいので、一度聴いてみてください。美しいメロディーに魅了されます。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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あの時代や場所、瞬間を紐とき、思い出す歌や音楽 に参加中!
私は学生時代にある飲食店でバイトをしていました。
最初は夕方~夜だったのですが、慣れてそれなりにこなせるようになった後は、たまに夜中~朝のシフトにもはいるようになりました。そして段々と深夜勤務も増え、そのうち週2~3回くらい、定期的に入るようになりました。

店内には当時はBGMなどの設備はなく、1台のラジカセがあるだけでした。皆が各自聴きたい自分のカセットを持ってきて、働いている時はそれを聴いていました。

ただある時に有線放送が入りました。
無数のチャンネルがありました。ほぼ全部の音楽を網羅しています。
当然会社は「客の回転率が悪くなる」などと理由を付け、正式なチャンネル名は忘れましたが、「国内ヒット歌謡曲など」「洋楽ポップス」のチャンネルは禁止されました。もちろん遊んでいる時間ではないので、ある意味妥当な対応かもしれません。

夕方などは人も多く、社員である店長などもいる時間が多いので、それはほぼ守られていたように思うのですが、深夜などはたまに本社の人の「抜き打ち来店」などはあり得ますが、本当の夜中はまず考えにくいので、有線放送で禁止されている前出の「国内ヒット歌謡曲」を聴きまくっていました。
会社の方、ごめんなさい・・・。

私が働いていた店は、結構都内でも有名な繁華街の駅前にあり、通常は人通りが多いのですが、深夜はいわゆる「酔っ払い軍団」くらいしかいないような状態になります。

また今は知りませんが、当時は深夜はよほどのことがない限り一人シフトでした。つまりある意味自分の好きにできるわけです。朝になるとまた朝の人が来て、朝は2人になります。

ということで前置きが大変長くなりましたが、夜中に店内でずっと好きな音楽を聴きながら仕事をしていました。会社も原則は禁止していましたが、特に大きな支障もなかったのか、あまり抜き打ち検査をするとか、咎められたりしたこともありませんでした。

夜中の飲食店は繁華街でも、時には、しばらく暇になることもあります。
その方が仕事的には楽なのですが、精神面では妙に人恋しくなったり、普段考えないようなことを考えたり、通常とメンタルの状態が違ってきます。これは私だけなのかはわかりませんが・・。

このときに、ちょうどよく有線でかかっていたのが、表題の曲です。だれかがリクエストしているのでしょうが、わりと頻繁にかかりました。

サビの部分の「アブラカダブラ~~」というレインボーマンの呪文のようなところもそれなりに好きでしたが、そのあとの節と歌詞が好きで、特に3番の「どこかで、一番鶏が鳴いて空が白みだし、東の金星がゆっくりと昇りだす前に~」(詞を引用)という部分が、その時に一人でガランとした少しけだるさを感じる明け方の店内に一人でいる状況と、部分的にはすごくよく似ているように感じていました。そのうちこの曲がかかることを、待ちわびるような、変な習慣になってきました。

この歌の歌詞の意味とは程遠いところで、聴き入っていました。
そしてこの曲がかかると、「あ~、深夜のガランとした店で、夜通しで一人バイトだ」などと意味不明なことで、感慨にふけるようになりました。

今でもこの曲を聴くと、当時の奇妙な感慨、というかメンタルの状態や情景を鮮明に思い出します。
不思議な気分でもあり、他の商売ではなかなかない瞬間でした。

ご承知の方も多いと思いますが、当時(今もかもしれませんが・・)は学生(私も素人ですが劇に少々関わっていましたが)の他に、劇団、ミュージシャン、アニメーターなどを目指している方や元ボクサーの方なども深夜の飲食店でバイトをしていて、ああいう瞬間にどう感じていたのでしょうか?

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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時代を問わず、国内外を問わず、名曲さがし に参加中!
私が中学を卒業する少し前に、彗星のようにデビューしたのが渡辺真知子です。
もちろん当時流行りの「シンガーソングライター」です。
たしか洗足学園短大の音楽関係の学科を卒業していました。
横須賀市出身で、どこか垢ぬけている部分と、流行歌手とは一線を画するような、教養系の雰囲気を両方持っていた、という印象です。何か独自の雰囲気があり、多少異国的な魅力もあり、顔も私的には結構好きな顔だったので、当時ファンになりました。私は「かわいい」と思っていたのですが、他の人にそれを告げると「え?」という顔をされました。元から顔がどうのこうの、というタイプではなく、皆はミュージシャンとしてみていたようです。
※もちろん小川範子的なさっぱり顔も好きなんですが・・。

そして高校に入ってしばらくしたころ、西八王子の高校に行った中学時代の友人から、いきなり葉書が来ました。というのも「高校に入ったら一緒に英検4級を受けようね」と約束していたからで、彼の高校も受験会場でした。その葉書にはその要件が書いてありましたが、なぜかそこに「渡辺真知子のファンになりました」と書いてありました。今度は私が「え?」と思い、大変驚きました。その友人も私同様に特に音楽に通じていたわけでもなく、野球や普段の学校生活を通して仲がよかった人だったからです。「何でそんなことが一緒になるんだろう??」単なる偶然なのでしょうが、とにかくびっくりしました。

渡辺真知子のデビュー曲はあの有名な「迷い道」で、大ヒットしました。そして翌年の春に発売されたシングル第2弾も有名な「かもめが翔んだ日」で、これも大ヒットしました。どちらも名曲として、今でもテレビやカラオケなどで皆に歌われています。これで十分という方も多いと思いますが、同じ春にファーストアルバム「海につれていって」が発売されました。

でも私はファンになっていたので、当然すぐ買いました。

上記2曲のヒット曲は作詞は伊藤アキラでしたが、他はすべて作詞・作曲とも本人です。

「かもめが翔んだ日」を聴いてもわかるとおり、渡辺真知子の作る曲は「横浜や横須賀などの異国情緒漂う港」の雰囲気を味わえる曲や詞が多いのも、ファンになった理由です。

話が少し変わります。
3~4回他のブログに書いたことがありますが、私の家系は両親ともほとんどが関西、北陸系です。
ここからは多分ほとんど書いたことはありませんが、唯一私の母と、母と同じ両親の姉妹だけは、もちろん北陸も関係ありましたが、若いころに東京や横浜にいた時期が一時期ありました。複雑な家系なので説明は端折ります。そして3人姉妹のうち2人(つまり母以外)は、当時戦後すぐなので米軍関係の方と結婚してしまいました。結婚後はしばらく日本にいましたが、その後アメリカに行ってしまいました。短期間日本に遊びにくることは2~3回ありましたが、基本的には日本に住むこともなく、結局2人ともアメリカでその生涯を終えました。

ただ私が小さい頃はまだ母の姉の一家は横須賀の米軍基地の住宅に住んでいました。小さいころに1度だけそこを訪ねたことがありました。細かいことはおぼえていませんが、その何ともいえない、日本国内ではないような「異国的」な雰囲気は今でもはっきり記憶の片隅に残っています。当時私は赤ちゃんのころから疳の強い子だったらしく、もうそんな齢でもないのに「わあわあ」泣き叫んでいたそうです。

また小さいころにやはり母の親戚と、何でかはわかりませんが、横浜港に行ったことがあるそうで、その時も出港間際の外国船(観光用ではありません・・)に皆で乗り込んでいたそうです。多分見物がてらだと思いますが、その時も私は同様に泣き叫んでいたそうです。家族の話だとそのまま外国につれていかれる、と思っていたようです。

このような幼児体験からか、まったく実態はわかりませんが、演歌ではなしにエキゾチックな横須賀や横浜の港を歌う、地元の人の歌う曲には何か感じるものがあるのかもしれません。

まだ表題の曲「今は泣かせて」もそんな香りがする、風情たっぷりの曲に思えました。

また後日紹介しますが、このアルバムでは他に、有名な「かもめが翔んだ日」と、あと「片っぽ耳飾り」という曲が同じように感じる曲でした。

特に2番の入りの「子猫が私についてくる、抱き上げた胸にしがみつくように、お前はどうしたさみしいの~」(詞を引用)というところが、頭の中にずっと残っている感じでした。

完成された感じの曲ではありませんし、伴奏は付いていますが、少し暗めのピアノの弾き語り風の静かな曲でした。でも私にとっては強烈に印象に残るメロディーと詞でした。

感じたままに、そのまま曲と詞をつくった、という感じで、それがまたいい感じです。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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私が小さいころ、すでに住んでいたのは埼玉でしたが、年に何か月もあたりまえのように大阪の父の実家にいました。実家は大家族で、まだ父の妹のうち下の二人(私から見たら叔母です)は結婚前で、一緒に住んでいました。特に下から2番目の妹は私たちの面倒を見てくれて、埼玉に一緒についてきてくれたり、よく私と姉と遊んでくれました。そして実家には当時としては珍しいのでしょうか?なぜかステレオがありました。

当然埼玉の私の住む賃貸住宅には、高価なのもありましたが、置く場所もなく、その時代の他の大勢の方同様、そんなしろものはありませんでした。ですから実家にいる時はステレオが珍しく、いじり方はわかりませんでしたが、よくその叔母と一緒に音楽を聴いていました。叔母は当時の流行りの歌謡曲が好きなようでした。私がおぼえている範囲では表題の「ザ・ピーナッツ」「伊東ゆかり」「小川知子」あたりが多かったと思います。

ということで、叔母のおかげで私は子供のくせにそのころの流行りの歌謡曲を聴く機会があり、今考えれば、このようなマニアックまでになってしまったレコード収集の趣味も、そのころに下地があったのかもしれません。

特に「ザ・ピーナッツ」は完全にトップスターで、もちろん曲もよかったのですが、一卵性双生児でよく似た顔や声だけでなく、息の合った美しいハーモニーで歌い上げました。有名なのは「恋のバカンス」など当時大ヒットした数々の歌ですが、多くは私好みの哀愁のたっぷりの楽曲だったように思います。

表題の「恋のロンド」は実は当時はまったく知りませんでした。
1968年に発売されたようです。でも後述にもありますが、初めて聴いた時も「どこかで聴いたことあるな」と感じました。当時のテレビ番組か、そのステレオかはわかりませんが、知らないうちに聴いていたのかもしれません。

実は初めて聴いたのはかなり後で、平成になってからです。
その当時よく聴いていた(見ていた)、スカパーのスターデジオの懐メロみたいな歌謡曲のチャンネルがあり、何かの特集でたまたま聴きました。先程の「聴いたことあるな・・」はその時に感じたことです。

リズミカルで覚えやすく、哀愁たっぷりで、”昭和歌謡の歌姫”である「ザ・ピーナッツ」にはぴったりのメロディーでした。

それからこの曲名を調べて、さらに数あるザ・ピーナッツのベスト盤などで収録しているものをさがしました。仮にそのようなものがあっても、今度は中古レコード店に在庫があるかはわかりません。

この曲に出会う前にもザ・ピーナッツのLPレコードは買いましたが、当時はいろいろ事情があり、まだレコードを集めていなかったので売ってしまいました。さらにこの曲に出会った後も買ったり、知人にもらったりしましたが、この曲がなかったり、あっても針飛びだったりで、なかなか自分のコレクションにはなりませんでした。まだネットが今ほどは発達していなかったのですが、ご承知のように段々と整備されてきて、中古レコード店にわざわざ行かなくてもネット通販などでさがせる環境になってきました。Amazonは典型的な一例で、私もさがしまわって空振りに終わるよりは、そのほうが効率もいいので、Amazonなどでさがす機会がふえました。

結局Amazonで調べたら、シングルCDがリバイバルで発売されていたので、すぐ買いました。
わざわざシングルCDをリバイバル発売するくらいなので、かなり人気があることもわかりました。

もしこれをご覧になった方で、この曲名を聴いてもピンとこない方がいたとしても、それなりの年代の方なら、やはり「あれ、この曲聴いたことあるな」と思う方がいるかもしれないと思っています。

「ザ・ピーナッツ」らしい、リズミカルで少しラテンではありませんが異国系の香りがする哀愁たっぷりのメロディーです。

この楽曲に対する名曲という評価はすべて個人的な感性によるものです。当方は専門家でもなく、また好みや嗜好は個人差があることをご承知おきください。

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