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まず最初にショートショート(エッセイ)から、今回はショートショートというよりエッセイです。
悪しからず・・
悪しからず・・
ー株(ブラックエッセイ)ー
今日は少し真面目な話です・・
以前証券会社に勤めていた私の相当昔の思い出です。
私が入社したのは1986年です。
1989年に3万9千円近くの高値を付けた日経平均株価は、翌年からとんでもない下げを続けました。
最終的に一番安い時は1万円割れまで下がりました。
私が2003年に退社して転職するまで暗黒の時代は続きました。
途中で数え切れないくらい、お客さんにも色々言われましたが、中でも忘れられないことがいくつかあります。
今回その中の1つを・・
多分1990年台後半くらいの話だと思います・・
私は悪い相場の中でも、よく「この株面白そうですよ!、少し買ってみませんか?」
と顧客に銘柄(株)を勧めていました。
ある時、というかそのようなことは頻繁にありましたが、私の目を付けた銘柄が3回くらい連続で大きく外れました。
色々なお客さんが乗ってくれていたので、その客は皆損をしました。
当時のお客さんも色々な方がいて、中でもよく電話で仲良くなり、頻繁に話しているお客さんがいました。その人は企業の経営者で、上品な紳士でした。
それなりにシビアなところもありましたが、滅多なことでは言葉を荒げないような冷静な方でした。
その時も電話で連絡したのですが、
この3連敗にはそれなりに付き合ってくれていて、大きな損が出ました。
「いやあ、だめだな、もうダメだと思うからもうすぐ売ってくれよ」
いつもは冷静な方でしたが、かなり怒っているのがわかりました。
「はずしてしまって申し訳ありません、すぐ売り注文を出します」
色々と手続きを踏んで売却注文を出して、売れたのでまた連絡しました。
すると彼は吐き捨ているように言いました。
「お前は・・」
「貧乏神かよ・・」
ー「・・・」
・・至極もっともな話だと思います。
・・至極もっともな話だと思います。
そして私は言葉が出ませんでした。
当時はすごい急落相場が続き、もっと大きな損が出たお客さんは数限りなくいましたし、それなりの騒ぎになったお客さんもたくさんいました。
でもこの時の彼の一言は今でも忘れられません。
皆さんも経験があるかもしれませんが、子供の頃よく手の平を広げて、指先と指の谷間を交互に数えてまず名前を一文字ずつ「○○○○○○」と数え、次に「貧乏、大臣、大大臣~~~」と名前の数だけ同じように数える遊びをしました。
すると例えば私の名前だといつも「大大臣」でした。
そんなことでも嬉しくて
「俺は貧乏じゃなくて、大大臣だ!」
と何の根拠もないような満足感を感じていました。
ところが、バブル崩壊と同時に自分の不徳の致すところもあり、すごく貧乏になってしまいました。
そのさなかで、もちろん別の理由でありますが、お客さんにズバッと前述の言葉で切り込まれたのです。
しかも「貧乏」に「神」がついてしまったのです。
「俺はついに貧乏では最上級の神になってしまったんだ・・」
「びんぼうがみ・・」
すごいショッキングな響きです。
上記文章はサイト制作者の完全なオリジナル創作文です。内容の模倣や転載、転用を固く禁じます。(2023年3月17日:タウンクリニックドットコム・時代文化ネット)
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さてここからは名曲さがしです
ー雨の吐息・やしきたかじん【哀愁のメロディーの名曲】ー
この曲はネットで調べた範囲ではシングルとしてはリリースされていないようです。
1989年に発売されたアルバムに収録されていたようです。
正直正確な情報はわかりません。
私は超有名な「やっぱ好きやねん」や個人的好みで「東京」はよく知っていてたまに聴いていました。
そして信じられないニュースを耳にします。
ちょうど2013年夏に私が感染症で肺に水がたまり、救命で搬送されるようなことがありました。1か月ほど入院しました。退院後もしばらく病院に通院していましたが、そのような状況の2014年の初頭にやしきたかじんが急死したというニュースが流れました。
ちょうど2013年夏に私が感染症で肺に水がたまり、救命で搬送されるようなことがありました。1か月ほど入院しました。退院後もしばらく病院に通院していましたが、そのような状況の2014年の初頭にやしきたかじんが急死したというニュースが流れました。
実は私は育ちは関東の埼玉県ですが、生れは大阪でやしきたかじんと同じ西成区です。
もちろん面識は全くありません。ご承知だとは思いますが、念のために・・。
もちろん面識は全くありません。ご承知だとは思いますが、念のために・・。
そして彼はバリバリの浪速っ子で、私はただ生まれただけのような似非大阪人であり、まったく世界が違います。でも個人的な勝手な気持で言えば、妙な親しみがありました。
それに私ぐらいの世代の関西人や関西に関係の深い人の多くが、「やしきたかじん」と「ラジオ番組のヤングタウン」は特別な存在でした。それぐらい心の支えになるくらい「神格化」されていたのが彼でした。そんな彼が若くして急死してしまったのです。
つまり私のような人間の中でも大阪のシンボルとも思えた人やものの一つであったのがやしきたかじんでした。ちなみに私の中の大阪の街の風景というのは小さい頃のかすかな記憶の中の風景であり、それがどこなのか、何でそういうところにいるのかもほぼ記憶はありません。たとえば内容的には「道頓堀」「夕暮れの淀川」などで、いつの話かもわかりません。でもほどなくというか、私の全く記憶がないような時期に実家は大阪市内から郊外の豊中市に引っ越してしまいました。
豊中でそんな情景を見ることは考えにくいので、それ以前の風景だと思います。それは紛れもなく大阪の昔の街の情景だった、と思います。幼少時の記憶というものは例えば今であっても画像だけは鮮明に残っています。
話が脱線しましたが、自分が健康を害したことも大きなダメージでしたが、やしきたかじんの死はさらにその状況に追い打ちをかけました。
そして今まで聴いていたような曲以外の曲も収録したベストのCDを買いました。
その中の1曲が表題の「雨の吐息」でした。
哀愁たっぷりの物悲しい風景がうかぶような、しかもリズミカルな曲を彼が歌い上げます。
一度聴いてみたら、「これはいい曲だなあっ!」と感じる方も多いと思います。
しかも飽きもこないような曲調で、私は今でもよく聴いています。
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